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三上雅博

「ストイック」とは、「(目標への到達のために)自分を厳しく律する」という禁欲的で求道的な姿勢や生き方を指す意味で用いられる表現である。主に「ストイックな人」「ストイックな性格」「ストイックに鍛錬に励む」といった言い回しで用いられる。 ストイックの語源 ストイック(stoic)という言葉は、そもそもは、古代ギリシア哲学における「ストア派」という学派の思想(「ストイシズム」)のことである。つまり元々は「ストア派の~」という意味の形容詞である。 ストア派の哲学・思想とは、おおまかに言えば「自律・自制によって道徳的・倫理的な幸福を求めようとする考え方」であるといえる。幸福を追求するにしても、その幸福は欲望・情動に囚われない冷静さの獲得によってこそ実現される、というわけである。 英語のstoicにも、日本語の「ストイック」と同様、「禁欲的な」程度の意味合いで用いられることがある。ちなみに、英語では先頭大文字でStoicと表記すると(固有名的扱いになるため)「ストア派哲学の」という意味合いの語意になる。 ストイックの関連語 古代ギリシアには、ストア派とほど同時代に、ストア派とは対照的に「幸福はむしろ《快》と密接に結びつくものである」と唱えた学派もあった。この快を重視する学派は「エピクロス派」(エピキュロス派)という。エピクロス派の立場は(さまざまな曲解を経て)今日では「快楽主義」「享楽主義」を指す語として用いられるようになっている。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博

    親父のちらし寿司。2月28日。

    鱚、春子、小肌、八角、𩸽(ほっけ)、鮪赤身、鮪大トロ、金目鯛、閂、鬼鯵、マスノスケ、いくら。

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  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    [捨てて勝つ]というよく使われる言葉がある。
    簡単に使っているが、この境地は中々難しい。
    人は簡単に勝利への執念を捨てることが出来ない。これ以上出来ないほどの圧倒的努力をしたら尚更だ。成すべきことを全てやり通し、後は無我の境地で執着を捨てる。虚心坦懐になる。僕の経験からして、鮮やかな結果が出るのはそんな時だ。
    今、僕は[捨てる]境地に至っている。やるべきことはやって来た。もう、どんな結果でもいい。後は天の采配に身を任せる。勝っても負けても清々しい気持ちで微笑する。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    目を閉じる。緩やかに息が抜けてゆく。浮かぶ妄執を断つ。今、ここに在ることと他者の存在に感謝する。
    今日やるべきことをやる。それだけだ。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    今日生まれた赤ちゃんも100年後には殆どが生きていない。今日755を読んでいる人は全員がいない。時の流れなどないのだ。宇宙がただ在るだけ。人生は一瞬の夢。宇宙を意識して生きる。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2022年2月の親父の投稿のリトークです。

    鮨を握りながら死にたい。人生が終わるその瞬間まで鮨を握っていたいと切に思っている。その今際の際の刹那の自分はどんな心境なのか考える。その時僕はただひとつ、もう少しだけ握りたかったと思うだけ。削られて削られて、削ぎ落とされて、消えていくのが人生だ。今日が最期の一日だ。その気持ちで今を生きる。死ぬ時に必要無いものは今日と言う日に置いていく。この胸に思い出ひとつ残れば良い。準備は出来た。覚悟は決まった。後は鮨を握りながら死ぬだけだ。それが明日か数十年後かは神のみぞ知る。どっちにしても一瞬だ。全てに感謝しながら綺麗に散って行けたら良い。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    1950年12月29日。静岡県清水市吉川450。
    小糸製作所静岡工場の社宅に生まれた自意識過剰な少年は紆余曲折を経て74歳になった。父と母が出会わなかったら僕は存在していない。親孝行を疎かにしたことを今更ながら痛切に後悔する。
    物心ついた時から今日まであっという間だった。
    今、自分が此処にあることが信じられない。
    本当に大切な想いは常に通じない。喪失と絶望の日々を唇を噛み締め、胸を掻き毟って耐えた。
    死はすぐそこまで来ている。これからも耐える。
    それが人生だ。僅かばかりの歓喜の記憶によって
    今日を迎えた自分を抱きしめる。忍びて終わり悔いなし。

  • 三上雅博
    三上雅博

    僕には忘れられない情景がある。
    視界に広がるのは海と空のグラデーション。
    海の向こうには富士山が見える。流れる雲と打ち寄せる波の音。頬を撫でる優しい風。太陽は凛々と輝いている。
    その光景を見る親父の背中は眩しいくらい発光している。言葉はいらない。漢は背中で語るのだ。その後姿に見惚れる僕。まるで絵画の様だった。
    僕には写真の様に深く心に焼きついた思い出の情景がある。親父の美しく切ないその偉大すぎる後姿が、いつも僕を鼓舞してくれる。
    自分がこんなにも誰かを尊敬するなんて思ってもみなかった。
    親父に出会えた僕はただただ幸せです。感謝が溢れます。
    親父、いつも有難う御座います。

  • 三上雅博
    三上雅博
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    前に親父が食べていた駅弁を買ってみました。始めて食べたけど美味しい!きっと昔から変わらない味なんだろうな。なんだか懐かしい味がします。