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三上雅博

↑ おはようございます。 2018年2月の親父の投稿のリトークです。 己の限界を超えろ。身体が悲鳴を上げようとも、精神が削り取られようとも、どれだけ辛く苦しくても、その先にしか見えない景色と出会うため、肉体と精神を研ぎ澄ませるように日々精進を重ねる。 僕はまだ見ぬ景色をどうしても見てみたい。そのためになら悪魔とだって契約をする。何もかも全部を諦めるから、もう何もいらないから、全てを失っても良いから、僕の全てを捧げるから、僕をいつか一流の寿司職人にならせてください。 この命尽きるまで、僕は精進を重ねる。いつか一流と呼ばれるその日まで。悲しいけれど、悔しいけれど、切ないけれど、僕がその道半ばで死んでゆく事はもうわかりきっている。僕はただ、死んで荒野に風になる。何もかも空っぽになって死んでいきたい。 本日も皆様、宜しくお願い致します。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博


    「欲はない」は言い過ぎました。もちろん欲はあるけれど、極める欲には到底及ばない。
    こちらの方が正しいです。
    無謀な日々の中で、女将とは毎日の様に喧嘩をしました。最近では喧嘩も減った様な気がします。すったもんだがありましたが、このお店をやらせて頂き、もうすぐ4年が経とうとしています。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ 感想は出来るだけ書くようにしたらいいと思います。自分の想いを正確に表現することは思考力を圧倒的に鍛えます。本当はリトークしたら、リトークした自分の想いを短くても書くべきです。僕も毎回は出来ませんが…。
    自意識は僕も死ぬまで克服出来ないでしょう。しかし、自意識に自己嫌悪を持つか?持たないか?で人生は随分と違って来ると思います。

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  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    正確な言葉を獲得する。それは人生を獲得することです。曖昧さや適当、怠惰は不正確な言葉によってもたらされます。

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  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2020年2月の親父の投稿のリトークです。

    自分の過去の投稿を読むと頭を掻きむしりたくなる。グシャグシャに丸めて捨ててしまいたくなる。自分が本当に嫌になる。毎日言葉を綴っても、どれだけ心を掘り下げても、拭いきれない自意識が、文章に滲み出てしまう。
    自分の思いを相手に伝える為には、正確な言葉を獲得する以外に方法がない。己の未熟を知り、人の心を汲み、七転八倒しながら言葉を絞り出す。
    毎日が情けない自分との戦いだ。日々、修行。日々、精進。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    「三上の鮨は引き算の鮨だ」。
    僕は親父のこの言葉が本当に嬉しくて、その時は営業中だったので我慢しましたが、涙が溢れ落ちそうでした。

    今のお店をやる前。雇われ大将時代。普通にやっても予約困難店など作れる筈も無かったので、足し算の鮨をとことんやろうと決めて鮨と向き合っていました。
    思いつく限りの事は全てやった。これでもかと言わんばかりに色んな事を一貫に詰め込んだ。膨大な時間をかけて、一貫の中に全く異なるアプローチの仕事を重ねる鮨は「一歩先を行く創作鮨」などと言われ、他の寿司店とは一線を画したが、僕は内心では創作鮨と片付けられる事を不快に思ったりもしていた。自分こそが純正鮨職人だと思いたかったからだ。
    この頃はとことんまで足し算の鮨に熱狂した。もはや鮨でさえ無くなっていたのかもしれない。好きな様にやらせて頂いた皆様には本当に感謝しかない。
    残すもの。残さないもの。必要なもの。そうでないもの。馬鹿はやらなきゃわからない。膨大に広がった仕事を削ぎ落とし、磨き上げ、洗練させていく。これは気の遠くなる様な作業だ。例えるなら、ボディビルダーが即身仏になろうとしている様な感覚だ。今、僕の鮨はこの段階にある。まさに引き算の鮨を目指して今を生きている。
    それを誰かにわかってもらいたいなんて烏滸がましいにも程がある。全て自分で勝手にやっている事だ。傲慢だとわかっている。それでもどこかで人に期待してしまう。人はいつも孤独だとわかっている筈なのに。誰にも理解されない筈なのに、わかってくれる人がいる。理解してくれる人がいる。そんな時、鮨職人をやっていて良かったと、僕は心の底から思います。
    親父の言葉にいつも僕は救われています。
    いつも有難う御座います。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    人間は生まれた瞬間から死のキャリアである。ゴールは死であって、それを避けることは誰も出来ない。つまり、死ぬために生きることになる。どうせ死ぬんだけど、それまでをどう生きるか?それが人生だ。僕は何をしていても、今やっていることは死ぬためにやっているんだという感覚から逃れることが出来ない。それでもやる。やり切る。苦しくて辛い道を行く。それこそが[死]が確定している日々を充実させるんだと思っている。僕は死ぬために今日を生きる。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    90歳で死ぬとして、今日誕生した赤ちゃんは後90年、僕は69歳だから後21年。そこには大した差はないように思える。多分、僕が産まれた日に69歳の人の誰かがそう思ったかも知れない。69年後、今日産まれた誰かがそう思うかも知れない。時はあっという間に過ぎる。死ねば自分の産まれる前に戻る。産まれなかったら楽だったなあ、と思うけど産まれてしまったんだから仕方がない。死ねば楽になる。そう思って今日を苛酷に生きるしかない。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2020年3月の親父の投稿のリトークです。

    人は生まれて死んでいく。何をやっても虚しいだけだ。荒野に乾いた風が吹く。
    この暗雲の如くどんよりとした虚しさを、払拭してくれるのが「熱狂」だ。それが生きている実感となる。仕事以外で熱狂出来ることは僕にはない。こんなにも苦しくて楽しいことが他にあるのだろうか。僕は知らない。知らなくて良い。僕は仕事一本命を燃やす。そうやって死んでいく。それで良い。それが良い。これが僕の人生だ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    諦めた方が楽になるんなら諦めたらいい。
    僕は諦めたら後悔しか残らない。だから耐えるだけ耐える。粘るだけ粘る。苦しむだけ苦しむ。それが僕が選択した生き方だ。だから、いつも切ない。

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  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2020年3月の親父の投稿のリトークです。

    継続か、中断か。続ける理由はただ一つ。自分でやると決めたから。止める理由は無尽蔵。溢れるほどに湧いてくる。やめたらきっと楽になる。それと同時に自分に失望するだろう。僕は後悔したくない。
    だから耐える。耐え忍ぶ。継続がいつか力に変わるその日まで、決して諦めたりはしたくない。
    いつか死が迎えにくるその日まで、苦難の道は続くのだ。楽になるのは死んでから、思う存分したら良い。

    「往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし」
        ーーー酒井雄哉大阿闍梨

    本日も皆様、宜しくお願い致します。