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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    三島由紀夫自決直前。自衛隊市ヶ谷駐屯地バルコニーでの演説

    「おまえら、聞けぇ! 静かにせい、静かにせい! 話を聞け! 男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。いいか。

    それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ」

    「俺は4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。4年待ったんだ。最後の30分に、待っているんだよ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君は永久に救われんのだぞ。

    諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ! 俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ」

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    1970年11月25日。毎年その日が来るとテレビの情報・報道番組は三島由紀夫の自決だけをクローズアップして三島由紀夫が自決した理由については殆ど言及しない。新聞も同様である。
    三島由紀夫は日本国憲法の改正を訴えて自決したのだ。それを自らの死の大義名分としたのである。檄文を書き、演説をした。それくらいに大義名分にこだわったのだ。
    美しい日本語で書かれた三島由紀夫の文学。それら全ての作品と自分の命を引き換えにしても、日本語で書かれた日本国憲法の欺瞞を許せないとしたのである。日本語とは思考し、書き記す自分の根源であり、日本国の歴史と伝統、文化そのものである。その象徴たる天皇陛下に万歳を叫んで、武士の様式で切腹する。
    [豊饒の海]を書き上げ、生きる理由のなくなった三島由紀夫の死の理由としてこれ以上のものはなかった。後はどんな理由も取るに足らなかった。全ては用意周到に準備されたものだったのだと僕は思う。かくして神聖喜劇の幕は閉じられたのだ。三島由紀夫の自決から50年。
    日本国憲法は未だに改正されていない。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ この僕の考えに同意してくれる人が少ないのに絶望的な気分になる。三島由紀夫の演説にも拍手が少ない。三島由紀夫は言葉で思考して観念を組み立てた人間がその観念の遂行のためには現実の踏み絵を踏み抜かねばならないということを命を賭して見せてくれた。死ぬための理由付けであろうとなかろうと、三島由紀夫という文学者は憲法改正を訴えて自決したのだ。右翼とか左翼とかそういう問題ではない。生まれて、生きて、死ぬ。その宿命を背負った個体の人間の有り様をここまで文学的に鮮やかに提示して見せた例を他に僕は知らない。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    [絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ]というタイトルの藤田晋と僕の共著がある。講談社+α文庫から出ているが、このタイトルは実は僕如きが三島由紀夫に捧げるのは僭越極まりないが、三島由紀夫へのオマージュである。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    生まれたからには生きる理由が必要だが、実はそんなものはない。だから、生きていても死んでいても同じなのだ。たった一つの事実は今、生きている自分がいるということだ。それをどうやってアウフヘーベンするのか?生きるという営みはその葛藤との戦いなのだ。

  • 三上雅博
    三上雅博

    おはようございます。
    本日は過去の投稿より、2020年8月の親父の投稿をリトークさせて頂きます。

    1970年11月25日、三島由紀夫没。

    益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに
    幾とせ耐へて 今日の初霜

    散るをいとふ 世にも人にも さきがけて
    散るこそ花と 吹く小夜嵐

         ーーー 三島由紀夫 辞世の句

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    僕は、生まれたときから失敗を重ね、許され、救われ、助けられながら、ここまで来た。
    もう、いつ死んでもいいと思えるほどに、僕の人生は十分すぎるほど幸せだった。
    それなのに、もう何もいらないはずの僕が、まだ生きようとしている。
    ならば残された命は、人のために使いたい。
    喜んでもらうために、恩を返すために、どこまで自分の足で歩けるのか試したい。
    親父みたいに、鮮やかに人を感動させる人間になりたい。
    善良でありたい。誠実でありたい。正直でありたい。
    どうせ生きるなら、僕はそうやって生きていきたい。

    往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし
            ーーー酒井雄哉大阿闍梨