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三上雅博

本日は親父の過去の投稿より、2019年1月の投稿をリトークさせて頂きます。 静岡新聞夕刊の「窓辺」に掲載された親父のエッセイ第二回『同級生』。 親父が毎年続ける、同級生との食事会。 どれだけ時が流れても、季節が移り変わっても、変わらない関係がある。 故郷を想う時、あの頃のままの同級生がそこにいる。 本日も皆様、宜しくお願い致します

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三上雅博のトーク
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  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    今は皆んな使うけど、[圧倒的努力]も僕の言い出した言葉だ。憂鬱を超えていくためには[圧倒的努力]しかない。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2020年1月の投稿をリトークさせて頂きます。

    憂鬱じゃなければ、仕事じゃない。
    苦しくなければ、努力じゃない。

    憂鬱な道を選んで進め。
    ただの努力ではない。圧倒的に努力しろ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    『初恋』(2019.1.7掲載)
    静岡県立清水南高校。ずっと憧れていた1学年下の女生徒に卒業の直前に想いを書いて手渡した。
    東京の大学に合格し、彼女に何も告げずに高校を去って行くのはあまりにも後悔が残ったからだ。
    決死の想いは通じて、卒業式の日、校門前で待ち合わせて三保の松原まで海岸を2人で歩いた。それが初めてのデートだった。
    それから3週間、毎日会った。
    狐ヶ崎ヤングランドのスケートリンクで滑り、当時話題になっていた『若者たち』という映画を観、彼女の家の近くの丘にピクニックに行った。
    一時でも離れ離れになるのが怖かった。
    1969年4月4日。僕が東京へ行く日がやって来た。既に高校の授業は始まっていた。僕は1人でボストンバックを提げて、静鉄バスの小糸製作所前に佇んでいた。
    バスが到着した時、突然、彼女が走って来た。高校の制服姿だった。
    事情は解らなかったが、僕を見送りに来てくれたことは明らかだった。
    東海道線の清水駅まで2人でバスに乗った。プラットホームに立って、手を握り合って列車を待った。晴れてはいたが、強い風が冷たかった。
    言葉はなかった。2人とも泣いていた。全身が痺れるような切ない時間だった。
    50年が経ち、68歳になった。幾つかの恋をして、肉親や何人かの友人の死を見送った。自分の会社を立ち上げ、上場し、上場を廃止した。
    しかし、立ち尽くしながらあれほどまでに長い時間、涙をボタボタと落としたことは一度もない。

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  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、少し過去に遡りまして2019年1月の投稿をリトークさせて頂きます。

    静岡新聞夕刊[窓辺]で連載された親父のエッセイ第1回『初恋』。

    親父の文章に、いつも心を奪われます。永遠に胸に刻まれる一瞬。二度と戻れぬ熱狂の日々。
    本が出版されるのを、心より楽しみに致しております。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    静岡新聞[窓辺]
    第2回『同級生』(2019.1.14掲載)

    清水南高校で仲の良かった4人の同級生と1年に2、3回くらい静岡で食事をするのを十数年続けている。場所は葵区のカウンター割烹の店『ひでじ』。
    静岡の季節の食材が店主の鈴木秀治さんによって小気味良く料理されて10品ほど供される。
    春なら大井川河口の白魚。夏なら有度茄子の素麺。秋なら吉田港の太刀魚。冬なら平山の自然薯…。季節に関係なく〆だけは紫蘇風味の飯蒸と決まっている。支払いは僕。静岡の財界人もよく利用する店だ。
    同級生は僕と成績トップを争った鈴木真琴、一緒に悪さをしたラグビー部の望月勉、体操部のマドンナ勝山由美子、陸上部のマドンナ高野みどり。
    県庁や市役所、教師をリタイアした彼らと高校時代の思い出話に花が咲く。
    秀治さんが料理を出しながら絶妙のタイミングで合いの手を入れる。日々、ハードスケジュールでビジネスに追われる僕にとってこの上ない癒しの時間だ。
    365日会食が詰まっているがこの日程だけは6ヶ月前から押さえておく。
    高校卒業まで小糸製作所静岡工場の社宅で育った。一生を清水で終えるものと思っていた。
    今は歴代の総理や日本を代表する経営者たちとも会食をする。坂本龍一の事務所の社長も勤めている。遥か遠くまで来た。高校時代のままの同級生たちとの関係は心地が良い。去年12月29日で68歳になった。人生は最終コーナーを回った。つまり、ゴールが見えて来た。僕はどんな想いでゴールラインを駆け抜けるのだろうか?

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2019年1月の投稿をリトークさせて頂きます。

    静岡新聞夕刊の「窓辺」に掲載された親父のエッセイ第二回『同級生』。

    親父が毎年続ける、同級生との食事会。
    どれだけ時が流れても、季節が移り変わっても、変わらない関係がある。

    故郷を想う時、あの頃のままの同級生がそこにいる。

    本日も皆様、宜しくお願い致します

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    静岡新聞の僕のコラム[窓辺]第3回
    『ホールインワン』(2019.1.21掲載)

    裾野市にあるゴルフ場『ファイブハンドレッドクラブ』。渡辺淳一さんの別荘が三島にあり、このゴルフ場のメンバーだったのでよくゴルフをご一緒した。
    1998年3月11日、僕は初めてのホールインワンを177ヤードの11番ホールで達成した。郷ひろみとラウンドしていた時のことだ。
    その日、僕は徹夜で彼の原稿を最終入稿し、そのままゴルフ場に向かった。その原稿とは郷ひろみが二谷友里恵との離婚の経緯を書いた『ダディ』である。
    離婚届提出日に発売し、世間はその本で2人の離婚を初めて知るという秘密裏のプロジェクトだった。入稿作業は極度の緊張の中で進められ、その出版を知っていたのは社内でも3人だけだった。眠くて疲れてはいたが、やっと原稿と向き合う作業が終わって心は爽快だった。
    5番アイアンで打ったボールが2バウンドしてカップに吸い込まれた。僕はその時、『ダディ』がミリオンセラーになることを確信した。
    実際に前代未聞の初版50万部を刷った『ダディ』は飛ぶように売れ、発売5日後に発行部数100万部に到達した。あれは天の啓示だったと今でも思う。
    その後、長嶋茂雄氏を始め何人もと『ファイブハンドレッド』を廻ったが11番ホールに来ると必ずあの光景を思い出す。
    圧倒的努力をした者には運命の女神がその結果の予兆をどこかで知らせてくれる。自分の人生を振り返る時、あのホールインワンほど劇的なメイク・ドラマはなかったと思っている。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2019年1月の投稿をリトークさせて頂きます。

    静岡新聞夕刊「窓辺」に掲載された親父のコラム第三回『ホールインワン』。

    圧倒的努力の中で、兆しが現れ、確信へと至る。そして、それは現実となる。
    奇跡とは、偶然ではなく「必然」だ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。