僕は、なんでも許す。
つまり、それは――
[許せない自分]さえも
抱きしめることなのだ。
人は、許すという行為を
「他者との関係」の中に
見出そうとする。
裏切りや怒りや失望に対して、
寛容さを示すこと。
確かにそれも、ひとつの許しだ。
けれど、別の許しがある。
それは、自分の中に生まれる
「許せない」という感情をも
否定しないこと。
怒りも、嫉妬も、弱さも――
すべては生きている証だ。
人はしばしば、自分を責めることで
正義や秩序を守ろうとする。
だが、その行為は逆に心を閉ざし、
静かな理解の扉を固く閉じてしまう。
だから僕は、許す。
他者を、そして、何より自分を。
怒りや弱さ、嫉妬や恐れ――
そうした感情を、ひとつひとつ
認め、抱きしめることによって、
初めて心の地平は広がる。
否定や拒絶の向こう側に、
静かな受容の地平が広がる。
そこでは、自己と世界が
摩擦なく共鳴し、人は静かに
自らの存在と向き合うことができる。
許すとは、単なる行為ではない。
存在そのものへの理解であり、
人生における静かな実践なのだ。
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