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鈴江信彦

僕は、なんでも許す。 つまり、それは―― [許せない自分]さえも 抱きしめることなのだ。 人は、許すという行為を 「他者との関係」の中に 見出そうとする。 裏切りや怒りや失望に対して、 寛容さを示すこと。 確かにそれも、ひとつの許しだ。 けれど、別の許しがある。 それは、自分の中に生まれる 「許せない」という感情をも 否定しないこと。 怒りも、嫉妬も、弱さも―― すべては生きている証だ。 人はしばしば、自分を責めることで 正義や秩序を守ろうとする。 だが、その行為は逆に心を閉ざし、 静かな理解の扉を固く閉じてしまう。 だから僕は、許す。 他者を、そして、何より自分を。 怒りや弱さ、嫉妬や恐れ―― そうした感情を、ひとつひとつ 認め、抱きしめることによって、 初めて心の地平は広がる。 否定や拒絶の向こう側に、 静かな受容の地平が広がる。 そこでは、自己と世界が 摩擦なく共鳴し、人は静かに 自らの存在と向き合うことができる。 許すとは、単なる行為ではない。 存在そのものへの理解であり、 人生における静かな実践なのだ。

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鈴江信彦のトーク
トーク情報
  • 鈴江信彦
    鈴江信彦

    状況は常に流れ、変化している。
    そのムーブに無駄に逆らわず、
    しなやかに、
    芯を保ったまま対応してみる。

    流れの中にあっても
    僕自身は流されない。

  • 鈴江信彦
    鈴江信彦
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    朝の散歩@中目黒3丁目


    僕は何も否定しない
    僕自身も否定しない
    湧き上がるネガティブも否定しない
    恐れも不安も、怒りも否定しない
    それは全部、愛おしい僕の一部

    流れるままに見つめ
    波を受け止め
    ただ乗りこなす

    感情の海を制し
    闇も光も、道しるべに変える
    否定しない眼差しで
    僕は、僕の世界を歩く

  • 鈴江信彦
    鈴江信彦

    強さって、
    硬さじゃなくて、
    柔らかさだ。

    折れないのは、
    固まっているからじゃない。
    しなって戻る芯があるからだ。

    だから——
    決めつけない。
    自分の行動に、
    制限をかけない。

    今朝の僕と、
    夜の僕が違っていても、
    それで構わない。

    僕には、
    しなって戻る芯が
    宿っているから。

  • 鈴江信彦
    鈴江信彦
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    朝の散歩@中目黒3丁目


    [理想の自分]に近づいたんじゃない。
    [本来の自分]が目覚めてきただけだ。

    取り戻すのではなく、
    ただ目覚めていく。
    積み上げるのではなく、
    余計を削ぎ落としていく。

    そして、心地よさの外側に
    自分の基準を置く。
    未知に触れたとき、
    本当の僕が立ち上がる。

    ──静けさの奥で、
    進むべき方向がひとりでに光り出す。