ikutamaikutama2025年06月30日 12:57755をきっかけに吉本隆明と向き合う。その都度、調べ、考えるが、理解に至らない。それでも各場面で吉本隆明の言葉に触れる度に、一歩ずつ近づく。 社会との緊張関係の中で自分を磨き続けること。自己否定の先に新しい自分を見つけること。対幻想で共同幻想を突破すること。 『マタイによる福音書』はキリスト生涯(誕生、宣教、受難、死、復活)の書。 支えが崩れたとき、どう生きるか。信じていたものに裏切られ、救いが来ないとき、どう生きるか。否定を尽くした後に残るものこそ“本当の自己”。 自己否定のために読書し、新しい自分と向き合う。
ikutamaikutama3日前過ごした時間に比べ、ほんの僅かに残る思い出。新しい景色と帰る場所を往復し、この身体は確かに存在し続けている。自分を疑いながらも責任を持つ。責任とは逃げも隠れもしない事。心拍数を上げるような挑戦を、今日あと何度できるだろう。18
ikutamaikutama3日前『サラブレッドは血で走る』という言葉がある。サラブレッド(Thoroughbred)は、徹底的に(thorough)育種、繁殖された(bred)というのが語源。勝負する為、勝つ為に生まれてくる。ただ走るのでは無く、競い合う。そこに生命の情熱を感じる。11
ikutama2日前見城徹見城徹[読書という荒野]に流れている通奏低音は吉本隆明の[マチウ書試論]である。[マタイによる福音書]を吉本隆明は自分の人生の問題として読んだ。僕は[マチウ書試論]を僕の人生の問題として読んだ。[読書という荒野]が読む者の人生の問題として読まれたらこんなに嬉しいことはない。読書とは当たり前だけど、人生を変えるものなのだ。121058
ikutamaikutama2日前755をきっかけに吉本隆明と向き合う。その都度、調べ、考えるが、理解に至らない。それでも各場面で吉本隆明の言葉に触れる度に、一歩ずつ近づく。社会との緊張関係の中で自分を磨き続けること。自己否定の先に新しい自分を見つけること。対幻想で共同幻想を突破すること。『マタイによる福音書』はキリスト生涯(誕生、宣教、受難、死、復活)の書。支えが崩れたとき、どう生きるか。信じていたものに裏切られ、救いが来ないとき、どう生きるか。否定を尽くした後に残るものこそ“本当の自己”。自己否定のために読書し、新しい自分と向き合う。14
ikutama1日前見城徹見城徹[初心に返る]とはよく言ったものだ。人は物事が上手く行き出すとどうしても何もなかった最初の頃の気持ちに戻れない。僕も幻冬舎を創業した時の悪戦苦闘の日々を忘れがちだ。自分一人の力でここまで来れたのではない。不安で押し潰されそうだった幻冬舎の旅立ち。旅は自分を初心に戻してくれる。北国を旅しながら自分に言い聞かせる。ゼロに戻せ。初心に返れ、と。431813
ikutamaikutama1日前何もなかった頃。全てのことが新鮮で、元気だけが頼りだった。ドキドキし、未来の不安を解消するために精一杯考え、行動する。やがて効率良く力を注ぐために、自動的にルーティン作業化されていく。生産性は向上するが、発するエネルギーの総和は、減少していく。旅は「慣れた場所から離れること」。思考によって自己否定に至るのではなく、行動によって自己否定に至る。“支え”を手離すことで、新しい自分を発見する。13
ikutama2時間前見城徹見城徹窓を開けると風が冷んやりとして気持ちがいい。木々が光を浴びて葉を揺らしている。遥か向こうには青い山々が聳え、空は高く澄んでいる。北国の夏。晴れた日には永遠が見える。宇宙の時は悠久として流れ、止むことはない。僕は宇宙の一部として今この一瞬にここに在る。朽ちて果てるのは万物の定め。永遠の中の一瞬。ここに在ることの奇跡を想う。人生は一夜の夢。100年後から見たら今の僕の悩みなど何ほどでもない。だから、振り切る。だから、この一瞬を狂って生きる。 3931848
ikutamaikutama2時間前窓から入る風。木々の輝きと動き。景色と空。「今、ここ」の日常の“美しさ”に気づき、「永遠、無限」を想像していく。そして「今、ここ」に“新たな自分”として戻ってくる。これは無意識に誰もがしていることなのかもしれない。ただ、そのスケール、繊細さ、スピード、向かう先、伝える力…どれもが桁違いに磨き抜かれている。10