K0183のトーク
トーク情報- K0183
K0183 2009年、ワールドシリーズMVPに輝いたにもかかわらず、契約満了に伴いヤンキースは残留交渉を行わなかった。想像を絶する絶望があったはずです。普通ならそこで終わっても不思議ではない。しかし松井選手は前を向きました。いくつかの球団を渡り歩き、晩年は故障との戦いが続きましたが、何度も立ち上がる姿には心を打たれました。
ヤンキース以降のいつだったか、長い苦悩を経て放ったホームラン。新聞に「立ち上がる、より強く」という見出しがありました。この言葉は今でも深く心に残っています。「困難な状況だって、ただの通過点に過ぎない」。そう思って、また進む。「転んでも、より強くなって、立ち上がる」。そう思って、また立つ。当時、長いスランプの中にいた私には、松井選手の姿が自分と重なって見え、その生き様に支えられました。
引退会見での「命がけのプレーも終わり」という言葉からは、長年の死闘からの解放感とともに、野球への深い敬意、そしてファンへの感謝が伝わってきます。寂しくも、やり切ったという晴れやかな表情に見えたのは私だけでしょうか。言葉数の少ない選手だったからこそ、この一言に重みがある。彼のプロとしての誇りと生き方を象徴する名言として、多くの人の心に刻まれていると思います。 - K0183
K0183 秋山監督の言葉がずっと心に残っている。 「現役以外の人の言葉は聞かないし、評論家は信用しない」
イチローさんが引退した時、あるコメンテーターがこう言った。「松井は大怪我をしたから一流ではない。イチローはそんなことなかった」。評論家なんてそんなものだ。本質が見えず、無責任な言葉を吐く。
秋山監督はさらに仰る。「自分の仕事が社会に晒されて、批判されたり、非難されたり、たまに褒められたり、消え去りたくなったり。それが現役であることだと思います」
理解されないことには、耐え難い痛みが伴う。
「理解されたい」と願ってしまう私には、「理解されなくても、それが現役だ」と言い切れる秋山監督の強さが眩しい。
正直、誠実、善良、真心を持って、この耐え難い痛みにどれだけ耐え切れるか。「現役であり続ける」ということは、まさに「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」だ。
打ちのめされ倒れても、また立ち上がってファイティング・ポーズを作る。それしかない。 K0183 見城徹見城徹 空は綺麗に晴れているが心は晴れない。
幻冬舎は1993年11月12日に設立登記した。
「俺たちの船は動かぬ霧の中を纜を解いて」と詩ったのはアルチュール・ランボーだが、正に動かぬ霧の中の不安と恐怖の船出だった。
既にその時から出版の落日は始まっていたが、
シュリンクする出版業界を何とか耐え忍び、ようやく創立30周年まで辿り着きそうだ。時代は変わった。書店は減り続け、本も雑誌も劇的に売れなくなった。船出の時の恐怖や不安に30年を経てまた今、苛まされている。年末で73歳を迎える。
「まだ戦えるのか?」
自分に問うてみる。アーノルド・シュワルツェネッガーの言葉を思い出す。アーノルドは限界まで来た筋肉に呟く。
「お前がNo!と言っても私はYes!と答える」
胸を掻きむしる切ない日々。しかし、戦うしかない。道は一つだ。限界を突破する。血の一滴まで戦う。I Will Go to War!- K0183
K0183 長く戦うということ。
私が現在の職を四半世紀続けている間、幻冬舎はそれ以上戦い続けてきました。見城さんはさらにその前から、ずっと戦い続けている。尊敬しかありません。
私の業界も激変しました。いつまでも若いつもりでいましたが、気づけば一緒に働く人は自分の子供のような年代。「歳をとったな」と思うことが増えました。時代とともに人も変わり、社会も働き方も変わっていきます。
私は若い頃、人が3年でやることを1年で、10年でやることを3年でやろうと働いてきました。頑張ればゴールが見えるかと思ったこともありましたが、何も見えません。四半世紀を経た今も、不安と恐怖に苛まれています。 ただ、胸を掻きむしりながらも、絶望を乗り越えてきました。
自分の本当の価値は、追い詰められた絶望の底で初めてわかる。底から這い出せるか。その実力があるか。そして運も必要ですが、その運も実力がなければ巡ってこない。
「長く戦い続ける」とは、「長い圧倒的努力の中で、何度も絶望を乗り越えること」なのだと思います。
まだ、死なずに戦えている。
「私はまだ戦える」、そう胸を張って言えます。
見城さんの「I Will Go to War!」に、心から理解、共感します。