ログイン
詳細
K0183

見城さん、心に響くお言葉をありがとうございます。まさに今日の私に必要なお言葉をいただきました。 「3年後に1000万円になって返って来る」と頭では理解していても、目の前の10万円を惜しんでしまう――その臆病さこそが人生の分かれ目なのだと痛感しました。「人はお金の使い方でその人の人間力が出る」。本当にその通りだと思います。 今夜は20人を超える部下たちと飲みに行きます。単なる飲み会にもかかわらず、ほぼ全員が参加してくれることが本当にうれしい。このご時世に飲み会を敬遠する若い世代も多いなか、彼らの気持ちがありがたいです。 このご投稿に背中を押していただき、迷いが消えました。私は潔く場面を張り、綺麗にお金を使います。大切な仲間に投資できる人間でありたい――そう決意を新たにしました。ありがとうございます。

前へ次へ
K0183のトーク
トーク情報
  • K0183
    K0183

    見城さんの「劇的な一日」の重さは私如きでは推し量ることすらできませんが、その決断に至るまでの「激しい精神の劇」が伝わってきました。

    「善意とは自分のエゴイズム」 純粋な善意から始まったことが、いつしか払う犠牲が限界を超え、「自己嫌悪と共に退却を決断」せざるを得なくなる。その葛藤の深さに胸が詰まります。

    善意がそこで自己満足や安住に陥る危険がある。そのやさしさが微温になり、鎖にもなるときがある。善意が自己満足に崩れる痛みを引き受けつつ、なお誠実であろう、と。

    「絶望し切って死ぬために究極の自己肯定をしなければならない」――それは甘えでも逃避でもなく、全てを抱きしめて、ひとりでさらに厳しい戦場へ向かうための覚悟だと感じました。

    その判断を下されるまでの、見えない葛藤と苦悩。眠れぬ夜。後ろ髪を引かれる思い。自己嫌悪。そのすべてを想像します。正解なんてない。それでも決断する。だからこそ、決断の責任だけが残る。その「激しい精神の劇」を、見城さんは何度も何度も乗り越えてこられた。敬意しかないです。

    「昨夜は眠れなかった」と綴られた心の温度が、そのまま私の灯になりました。その灯を手に、私もひとりでまだ見ぬ絶望へ向かいます。

    今日、受けるべきか受けざるべきか、とても悩む仕事の依頼がありました。文字通り生きるか死ぬかです。このご投稿を拝読して、「受ける」ことにしました。まだ見ぬ絶望へ。

  • K0183
    K0183

    見城さん

    昨夜、偶然気づきました。いつからお目にかけていただいていたのか...
    すぐにでもお礼を書かなければと思ったのですが、何かの間違いかもしれない、明日になったら消えているかもしれない、と思って寝ました。

    今朝はサンタクロースを待っている子供のような気持ちで起きました。確認したら、消えてない。夢じゃない。
    安易な言葉で表現したくない、でも言葉が見つからない。最高のプレゼントをいただいた、としか言いようがありません。

    何か周りの景色が違って見えます。
    同時に、身の引き締まる思いです。
    見城さんのこの選択に応える覚悟です。

  • K0183
    見城徹見城徹

    MBOによる幻冬舎の上場廃止を決断してTOBを発表した僕と、突然に現れた謎のファンド「イザベル」との幻冬舎株を巡る死闘。株を三分の一以上を握られたまま臨時株主総会に向かおうとする僕に届いた京都芸術大学・東北芸術工科大学の徳山詳直理事長からの一通の電報。そこにはこう書いてあった。

    男子たるものは、1度戦って負けてもやめてはならない。2度目、3度目の戦いのあとでもやめてはならない。刀折れ矢尽きてもなお、やめてはならない。骨が砕け、最後の血の一滴まで流して初めてやめるのだ。

    ーー新島襄

    2010年3月15日の臨時株主総会。奇跡は起こった。劇的な逆転で幻冬舎の上場廃止は決定した。

  • K0183
    K0183

    見城さん、お忙しい中でいつも温かいお心遣いを賜り、心から感謝申し上げます。ご投稿を拝読し、感想を添えさせていただきました。 本日もどうぞよろしくお願い申し上げます。どうかお体を大切になさってください。とても心配しております。

  • K0183
    K0183

    新島襄先生の言葉、そして徳山詳直理事長の電報に込められた2つの魂が、見城さんの魂を支えた——そのお話に、深く心を打たれました。

    「男子たるものは、1度戦って負けてもやめてはならない。2度目、3度目の戦いのあとでもやめてはならない。刀折れ矢尽きてもなお、やめてはならない。骨が砕け、最後の血の一滴まで流して初めてやめるのだ。」

    この言葉が、暗闇の中で届いたとき——株を三分の一以上握られたまま、臨時株主総会に向かおうとされていた見城さんの孤独と覚悟を、想像します。誰もが「終わった」と思ったはず。

    最後に試されるのは、いつも、戦う者の決して折れない心である。

    私もそう信じています。

    どれほどの絶望があろうと、どれほど不利な状況であろうと、立ち続ける者にだけ、奇跡は訪れる。2010年3月15日、その奇跡は偶然ではなく、見城さんが血を流してでも戦い続けた、その不屈の心が引き寄せた必然だと思います。

    「正直、誠実、善良、真心」を貫きながら、絶望の中でも立ち上がり続ける——それは並大抵の覚悟ではできません。
    見城さんの戦いは、諦めない心の強さだけでなく、自分を失わない魂の美しさをも証明されました。

    私も、何度倒れても立ち上がります。限界など自分で決めません。絶望の先にこそ、道があると信じて。
    骨が砕けようと、最後の血の一滴まで流しても、戦い続けます。

    見城さんの生き様が私の灯です。
    深い敬意と感謝を込めて。

  • K0183
    見城徹見城徹

    1970年11月25日は晴れていた。両親と妹が静岡県清水市の小糸製作所の社宅から神奈川県相模原市に買った小さなプレハブ住宅に引っ越して来て、僕も東京都目黒区柿の木坂の下宿を引き払って合流したばかりだった。僕は慶應義塾大学法学部政治学科の2年生だったが授業には殆ど出ることはなく、鬱々とした日々を実家で過ごしていた。三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して自決。衝撃的なニュースをテレビが映し出していた。呆然としてテレビに釘付けになった。その後のことは覚えていない。翌朝、自転車を飛ばして小田急相模原駅の売店で新聞全紙を買い、駅構内にある[箱根そば]のスタンドで「コロッケうどん」を食べたのだけは何故か鮮明に記憶に残っている。1970年11月25日は衝撃的な日だった。行為することは死ぬことだ。漠然とそう思った。
    1972年5月30日。奥平剛士、安田安之らがイスラエルのテルアビブ空港を銃撃。空港警備隊に蜂の巣のように撃たれながら自分の足元に爆弾を投げて自爆した。この2日で僕の青春は終わりを告げた。僕は狡猾にこの世界で生き延びる道を選んだのだ。三島由紀夫の死から54年。世界はこともなく僕の前に佇み、僕は73歳になって生きている。

  • K0183
    見城徹見城徹

    益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜           
                   三島由紀夫辞世


    今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは
                    森田必勝辞世

  • K0183
    K0183

    見城さん、身に余るお心遣いに、いくら感謝申し上げても足りません。心より御礼申し上げます。

    思いを綴り、言葉を紡ぐことで自分と向き合うようになってから、時間の流れがいっそう速く感じられるようになりました。ぼんやり過ごすことはなく、むしろ時間が足りないほどです。思いを形にし、言葉を選ぶ作業が、これほど難しく、時間のかかる営みなのだと痛感しております。

    今の私の心は「仕事」と「自分と向き合うこと」にしかなく、両者の垣根はなく、その間を行き来しています。私を迷わせていたものは、すでに姿を消しました。改めて、深く感謝申し上げます。

    ご投稿を拝読し、僭越ながら感想を申し上げました。引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます。

  • K0183
    K0183

    見城さん

    「行為することは死ぬことだ」

    三島由紀夫、奥平剛士、安田安之が示した極限の純粋性。その一瞬の劇的な行為に対して、見城さんは「僕は狡猾にこの世界で生き延びる道を選んだ」と仰る。

    しかし私には、それは決して「逃げ」ではなく、同等に苛酷な、いえ、ある意味でより苛酷な道を選ばれたのだと思えてなりません。
    一瞬の純粋な死ではなく、毎日毎日、死と向き合いながら生き続けること。74歳になった今も戦場に立ち続けること。

    「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜」
    「今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは」

    どちらにも、長い準備と静かな緊張を、ついに「今日」という一点に収束させる決意が脈打っています。
    見城さんは「今日」を一度だけ選ぶのではなく、「今日」を毎日更新し続けてこられた。
    それが「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」という境地なのだと、いま深く理解いたしました。

    「世界はこともなく僕の前に佇み、僕は73歳になって生きている」
    この一文に、見城さんの深い諦念と、それでも戦い続ける覚悟の両方を感じます。

    生きることは、覚悟を差し出し続けること。
    生に借りた時間を、覚悟で返していくこと。

    私もまた狡猾に生き延びながら、一瞬の純粋な死ではなく、長く苛酷な生を選んだ者なのだと自覚します。

  • K0183
    K0183

    755の皆さまへ。

    『栄光のバックホーム』の余韻、まだ冷めやらぬ頃かと存じます。心は温かくとも、日に日に寒さが増してまいりました。どうかお体を大切にお過ごしください。

    一般公開が始まりましたら、私もぜひ二度目を観に伺います。『ひとりしゃぶしゃぶ 厨 七代目松五郎』にも。見城さんを語り合う皆さまの“聖地”に憧れています。その空気を味わいに、近いうちに偵察に行こうと計画中です。

    これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。