K0183のトーク
トーク情報K0183 死ぬために生きる死ぬために生きる ![投稿画像]()
この国でのシーズン終了が近づいてきた。
終わりが近づくと、チームメイトや出会う人々、日々の練習やなんら変わりない街の景色が、妙に愛おしくなり、そして寂しくなる。
死ぬために生きると謳いながら、全く終わりを意識できていない自分に辟易する。
有難いことに契約延長のオファーをいただいたが、僕はどうするだろう。
もしこのチームに残れば、生涯何度も手にすることができない、チャンピオンの称号を手に入れられる可能性が高い。
そして、復帰時に密かに決めた3つの目標の1つを達成できる可能性も高い。
成長も結果も何もかも自分次第だが、ここに残っては心地良すぎる。
まだ何も成し遂げていないのに、崩したくなる。
より過酷へと足を進めたくなる。
恐らくもう僕の決断は決まっている。
しかし、前述した愛おしさと寂しさが僕を迷わせる。足を止めさせる。
止めてくれるな。
サヨナラだけが人生だ。
そう言い聞かせて今日も生きる。考えて動き、動きながら考える。- K0183
K0183 「死ぬために生きる」さん
シーズンの終わりが近づく中での、この投稿。あなたの葛藤が、痛いほど伝わってきました。
チャンピオンの称号、復帰時に密かに決めた3つの目標の1つ。それらを手にできる可能性が目の前にある。多くの人が羨む、まさに「成功」への道。
それでも、あなたは仰る。「ここに残っては心地良すぎる」と。「まだ何も成し遂げていないのに、崩したくなる」と。
この感覚、私にも分かる気がします。
私たちが恐れるべきは、失敗ではなく、安住によって鈍る感覚なのかもしれません。居心地の良さは、時に最も危険な罠になります。
私は思います。あなたが求めているのは、タイトルでも称号でもなく、「限界の先にある自分」との出会いなのではないでしょうか。
より過酷な環境へ。まだ見ぬ絶望へ。それこそが、あなたの魂が足を進めるべき道なのだと思いました。違いますか?
愛おしさと寂しさが、進もうとする足を止める。チームメイト、街の景色、日々の練習—— そのすべてが、別れを惜しむほど大切になっている。
でも、あなたは知っているはずです。「サヨナラだけが人生だ」と。
別れることでしか、前に進めないこともある。終わらせることでしか、始められないこともある。
あなたの決断は、もう決まっているのでしょう。迷いながらも、心の奥底では。
「恐らくもう僕の決断は決まっている」—— その一文に、あなたの覚悟を感じました。
「止めてくれるな」と自分に言い聞かせているあなたは、すでに次の戦場を見据えているのだと思います。
圧倒的努力の中で、何度も絶望を乗り越えてきたあなたなら、新しい地でも必ず立ち上がれる。より強くなって、また戦える。
「サヨナラだけが人生だ」—— この言葉の重さを知っているからこそ、私たちは今この瞬間を、全力で生きることができる。
どんな決断をされても、心から応援しています。あなたの「深夜特急」がどこへ向かおうとも、その先にある景色を、また聞かせてください。
考えて動き、動きながら考える。
その先に、あなたの真実がきっとあると信じています。 K0183 見城徹見城徹 ↑ 人生に何回か劇的な一日がある。三上にとっても僕にとっても昨日はそういう一日だったのだろう。ただ善意だけで始めたことを終了するのは辛いが、人には限界というものがある。善意とは自分のエゴイズムだが、三上の善意も同じことのように思える。来るべき時が来たのだと判断する。
善意の第三者として力を尽くし、やがて、それがストレスになってしまう。払う犠牲も限界を超える。奉仕する自分という自己満足が崩壊する。三上に何があったのか知らないが、僕の場合はそうだった。後ろ髪を引かれながら自己嫌悪と共に退却を決断する。前進も退却も決断は当たり前だがいつだって激しい精神の劇を伴う。正解なんてない。昨夜は眠れなかった。絶望し切って死ぬために究極の自己肯定をしなければならない。- K0183
K0183 見城さんの「劇的な一日」の重さは私如きでは推し量ることすらできませんが、その決断に至るまでの「激しい精神の劇」が伝わってきました。
「善意とは自分のエゴイズム」 純粋な善意から始まったことが、いつしか払う犠牲が限界を超え、「自己嫌悪と共に退却を決断」せざるを得なくなる。その葛藤の深さに胸が詰まります。
善意がそこで自己満足や安住に陥る危険がある。そのやさしさが微温になり、鎖にもなるときがある。善意が自己満足に崩れる痛みを引き受けつつ、なお誠実であろう、と。
「絶望し切って死ぬために究極の自己肯定をしなければならない」――それは甘えでも逃避でもなく、全てを抱きしめて、ひとりでさらに厳しい戦場へ向かうための覚悟だと感じました。
その判断を下されるまでの、見えない葛藤と苦悩。眠れぬ夜。後ろ髪を引かれる思い。自己嫌悪。そのすべてを想像します。正解なんてない。それでも決断する。だからこそ、決断の責任だけが残る。その「激しい精神の劇」を、見城さんは何度も何度も乗り越えてこられた。敬意しかないです。
「昨夜は眠れなかった」と綴られた心の温度が、そのまま私の灯になりました。その灯を手に、私もひとりでまだ見ぬ絶望へ向かいます。
今日、受けるべきか受けざるべきか、とても悩む仕事の依頼がありました。文字通り生きるか死ぬかです。このご投稿を拝読して、「受ける」ことにしました。まだ見ぬ絶望へ。 - K0183
K0183 新島襄先生の言葉、そして徳山詳直理事長の電報に込められた2つの魂が、見城さんの魂を支えた——そのお話に、深く心を打たれました。
「男子たるものは、1度戦って負けてもやめてはならない。2度目、3度目の戦いのあとでもやめてはならない。刀折れ矢尽きてもなお、やめてはならない。骨が砕け、最後の血の一滴まで流して初めてやめるのだ。」
この言葉が、暗闇の中で届いたとき——株を三分の一以上握られたまま、臨時株主総会に向かおうとされていた見城さんの孤独と覚悟を、想像します。誰もが「終わった」と思ったはず。
最後に試されるのは、いつも、戦う者の決して折れない心である。
私もそう信じています。
どれほどの絶望があろうと、どれほど不利な状況であろうと、立ち続ける者にだけ、奇跡は訪れる。2010年3月15日、その奇跡は偶然ではなく、見城さんが血を流してでも戦い続けた、その不屈の心が引き寄せた必然だと思います。
「正直、誠実、善良、真心」を貫きながら、絶望の中でも立ち上がり続ける——それは並大抵の覚悟ではできません。
見城さんの戦いは、諦めない心の強さだけでなく、自分を失わない魂の美しさをも証明されました。
私も、何度倒れても立ち上がります。限界など自分で決めません。絶望の先にこそ、道があると信じて。
骨が砕けようと、最後の血の一滴まで流しても、戦い続けます。
見城さんの生き様が私の灯です。
深い敬意と感謝を込めて。
