K0183のトーク
トーク情報- K0183
K0183 脳腫瘍から、もう一度プロ野球のグラウンドへ。
脳外科医として「医学的にはあり得ない」と思った奇跡の物語です。
『栄光のバックホーム』公開まで、あと8日。
脳外科医として四半世紀、私は数え切れないほどの脳腫瘍の患者さんと向き合ってきました。
診察室で「脳腫瘍です」と告げる時、医師である私の心も重く沈みます。脳は、人間の全てを司る臓器です。記憶、感情、思考、そして身体のあらゆる動き。その中枢に腫瘍ができるということは、単なる病気ではない——その人の存在そのものが脅かされるということなのです。
手術室で脳に触れる時、私はいつも畏敬の念を抱きます。わずか1400グラムほどの、この柔らかな組織の中に、その人の人生のすべてが詰まっている。記憶、夢、愛する人の顔、培ってきた技術。そのすべてが、ミリ単位の精密さで配置された神経回路の中に存在している。
だからこそ、脳腫瘍の手術は、命を救うだけでは終わらない。「その人らしさ」を守りながら、病巣を取り除く。それは、技術の限界に挑む戦いです。
横田慎太郎選手が脳腫瘍と診断された時、彼はプロ野球選手でした。
脳外科医として、私にはその絶望の深さが痛いほど分かります。プロ野球選手に必要な能力——時速150キロの球を見極める動体視力、コンマ数秒での判断力、三次元空間での位置認識、そして繊細な運動制御。これらすべては、脳の高度な機能が統合された結果です。プロのアスリートの動きは、脳の各部位が完璧に連携して初めて可能になります。
脳腫瘍の手術は、たとえ成功しても、こうした繊細な機能に影響を与えるリスクが常につきまとう。医学的には避けられないリスクです。
もし私が主治医だったら、おそらくこう言わざるを得なかったでしょう。
「命を守ることが最優先です。野球は、諦めてください」
それが、医学的な「現実」だから。医師として、私は確率を示し、リスクを説明し、患者さんを守るために最善を尽くす。でも同時に、夢を断つ言葉を告げなければならない時があります。
この四半世紀、私は何人もの患者さんに、そうした言葉を告げてきました。音楽家に「ピアノは難しいかもしれません」と。外科医に「手術は無理でしょう」と。そして、アスリートに「競技は諦めてください」と。
それは、医師としての責任です。希望だけを語って、患者さんを危険にさらすわけにはいかない。
でも——
『栄光のバックホーム』が描くのは、その「医学的現実」を超えた物語です。
手術、リハビリ、そして想像を絶する努力の日々。遠回りの道を、一歩ずつ這い上がり、横田選手は再びプロの舞台へと戻っていく。
脳外科医の視点から見れば、これは「奇跡」としか言いようがない。
医学書には載っていない奇跡。確率論では説明できない奇跡。でも、確かに起きた奇跡。
それは、横田選手の「諦めない心」が生んだ奇跡です。そして、彼を支えた家族、チームメイト、ファンたちの愛が支えた奇跡です。
四半世紀の臨床経験が、私に教えてくれました。
医学は、限界を示すことができる。統計を示し、リスクを説明し、「現実」を告げることができる。
しかし、医師として告げる「諦めなさい」という言葉は、医学的な限界を示しているに過ぎない。
人間としての可能性の限界ではないのだ、
その限界を超えるのは、患者さん自身の「諦めない」意志なのだと——
そこを超えようとする意志を、私たち医療者は否定してはいけない。その意志に寄り添い、支え、最大限のサポートをする——それが、本当の医療なのだと。
横田選手の物語は、私たち医療者にとっても、希望の物語です。
そして、人生で一度でも「諦めなさい」と言われたことがあるすべての人に、この映画を届けたい。
公開まで、あと8日。
脳外科医として、そして一人の人間として——心からお勧めします。 - K0183
K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと7日。
横田慎太郎選手は脳腫瘍と闘い、それでも野球に復帰しました。
私は長く、脳外科医として多くの脳腫瘍患者さんと向き合ってきました。小児専門というわけではありませんが、多くの小児・若年の脳腫瘍の患者さんの治療にも携わってきました。一人ひとりの顔が、今も深く心に刻まれています。
研修医の頃、一番奥の病室で呼吸が止まった術後の小学校低学年の子を抱きかかえ、ナースステーションのそばの処置室まで走ったことがあります。もう20年以上前のことです。小さな体は驚くほど軽かった。その後も2回、開頭手術を追加しましたが、治療の甲斐なく亡くなりました。
脳腫瘍は突然現れて、患者さんだけでなくご家族も巻き込み、全てを奪っていきます。その残酷な時間を、患者さんもご家族もどのように受け止めて過ごしていたのか、本当のところは私には想像しきれません。再発で再手術が必要だと伝えた時の患者さんとご家族の表情が、今も頭に焼き付いています。胸が張り裂け、心が壊れそうなほどに辛かった。でも患者さんとご家族は、きっと私よりもはるかに辛かったはずだ。
私は本当に彼らに寄り添えていただろうか。診察室や病室で向き合いながらも、どこか安全な場所から見ていただけになってはいなかったか。かつて「諦めてください」と言ってしまったこともあったのではないか。あのとき、別の言葉を選ぶことはできなかったのか――今でも自分に問いかけることがあります。
医師として「できること」と、人として「そばにいること」は、必ずしも同じではありません。病状を説明し、治療方針を決めることには慣れていっても、「患者さんとご家族の痛みに、自分はどう向き合えているのか」と問われると、今も言葉に詰まります。
横田選手が何度も立ち上がる姿をスクリーンで観ながら、これまで診てきた多くの患者さんやご家族の顔が次々と浮かんできました。救えた命もあれば、救えなかった命もある。その一つひとつの場面で、私にもっとできることはなかったのか――何度も自分に問い直していました。
横田選手は、諦めなかった。その姿は、「治ること」だけではなく、「どう生き切るか」を見せてくれているように思う。私が診てきた多くの患者さんも、同じように必死に生き抜こうとしていた。その力強さを、私はもっと信じるべきでした。
この映画は、私に、「本当に諦めていたのは誰だったのか」を静かに突きつけてくる。
だからこそ、一人でも多くの人に、この映画を見てほしい。病気と闘う人も、そのご家族も、そして私たち医療者も、もちろんそれ以外の人たちも。それぞれの立ち位置で何かを受け取れるはずだと信じています。
公開まで、あと7日。
諦めなくていい。
そう胸を張って伝えられる医師でありたい、と今、改めて思っています。 - K0183
K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと6日。
「父の愛に支えられて、私は立ち続けている」
横田慎太郎選手が脳腫瘍と闘った日々を、
母・まなみさんは、いつもそばで見守り続けました。
視界が二重に見える息子が、それでも練習場に向かう姿。
何度倒れても、諦めずに立ち上がり続ける姿。
母の愛が、横田選手を支え続けた。
私にも、決して忘れられない記憶があります。
私の最も古い記憶は、祖母の死です。くも膜下出血で倒れました。離島という環境では、公平な医療を受けられない。自衛隊のヘリが来てくれることが常でしたが、その日は台風だった。十分な治療を受けられず、祖母は再出血で亡くなりました。
葬式で、祖母のそばに座っていました。
周囲はみんな泣いていたのに、父だけは泣かずに、じっと祖母のそばに座り続けていた。その強い姿を、私は今もはっきり覚えている。
その直後、弟が事故で死にかけました。
父が看護師に縋りついて、泣いていました。
「自分の命はいらないから、この子の命を助けてくれ」と。
幼かった私の心に、その光景が焼き付きました。
父の涙。父の叫び。父の愛。
その時、幼い私が感じたのは、言葉にならない思いでした。
助けたい。
守りたい。
救いたい。
それは明確な言葉ではなく、ただ胸の奥で燃える、熱い思いでした。
その思いが、時間とともに、少しずつ言葉になっていきました。
「どんなに頭の血管が破裂しようと、どんなに脳が傷つこうが、助けてあげられる医者になりたい」
そして、言葉は「誓い」になった。
この記憶が、私の全てです。
私は、この記憶だけで、50年以上生きてきました。
だから、医者になりたかったわけではありません。
どうしても、脳外科医になりたかった。
祖母を救えなかった悔しさ。
弟を救ってくれた医療への感謝。
そして何より、父の愛の深さ。
父の愛に支えられて、今も私は立ち続けています。
脳外科医として四半世紀。
いつもあの日の父の姿が浮かびます。
「自分の命はいらないから、この子の命を助けてくれ」
——その叫びを、今は私が受け止める立場にいる。
横田選手は、母・まなみさんの愛に支えられて戦った。
私は、父の愛に支えられて、今日も手術室に立つ。
愛は、人を立ち上がらせる。
愛は、人に力を与える。
愛は、不可能を可能にする。
『栄光のバックホーム』は、横田選手と母・まなみさんの物語であり、
同時に、愛に支えられて立ち上がるすべての人の物語です。
公開まで、あと6日。
この映画を観る時、きっと思い出すはずです。
あなたを支えてくれた、誰かの愛を。
あなたが今ここに立っているのは、その愛があったからだということを。
そして、気付いて欲しい。
あなた自身も誰かの「愛」になれるということを。
父の愛に支えられて。
今日も、私は戦う。
誠実に、全力で。 - K0183
K0183 見城さん、いつも温かく見守っていただき、ありがとうございます。
ご出演された「人生最高レストラン」を視聴させていただきました。
見城さんの何もかもが、本当に大好きです。
全て印象に残っておりますが、私が特に心に響いたのは、尾崎豊さんが亡くなった時、「ほっとした」という一言です。
私も同じ感情を抱いたことがあります。普通の人にはあまり理解されないかもしれませんが、これは心底、その人のために心から尽くし切った者のみが感じることができる感情だと思います。
『栄光のバックホーム』公開まで、ついにあと5日。
いよいよ秒読みです。私の心も最高潮に高まりつつあります。
寒さも厳しいです。そして、本当にご多忙かと存じます。くれぐれもご自愛ください。
本日もよろしくお願い申し上げます。 - K0183
K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと5日。
「母の背中」
3年前、11年ぶりに実家に帰った。
仕事が忙しいと言い訳して、長い間、両親をほったらかしにしていた。
久しぶりに会った母に、私は驚いた。あんなに元気だった母が、随分と小さくなっていた。
「がんばってね」といつも励ましてくれた母。料理は食べきれないほど作ってくれた。熱を出せば夜通し看病してくれた。高校生の頃、登下校でいつも道を歩きながら英単語を暗記している私を見て、「とても誇らしかった」とだいぶ後になって語ってくれた母。見ていてくれた。参観日には、自慢の美人な母だった。
私が忘れていることも、母はよく覚えている。「自慢の息子」「一番大好き」と、今も変わらず言ってくれる。
母からもらった愛は、計り知れない。無償の愛とは、こういうものかと思う。怒られた記憶もほとんどない。大事な時、いつも全力で支えてくれた。
私は母に何をしてあげられただろうか。
母はもう、長い距離を歩けなくなった。車椅子をレンタルして、母と公園に出かけた。
子供の頃、何度も連れて行ってもらった公園。母の背中を見上げながら、いつも「もっと遊ぼう」とせがんだ。ああ、懐かしい。
今度は、私が母を連れている。
車椅子を押しながら、母の背中を見下ろした。本当に小さくなったな、と思った。
母は私に、すべてを与えてくれた。愛情も、励ましも、誇りも。
私は母に、何を返せているだろうか。
母は言った。「連れてきてくれて、ありがとう」と。
涙が溢れそうになるのを、必死で抑えた。
ありがとうと言うべきは、私の方なのに。母の深い愛情に胸がいっぱいになった。それと同時に、母からもらってばかりで、何もしてあげられてない罪悪感で胸が張り裂けそうになった。
「もう帰ろう」、そう言って車椅子を押しながら、母の背中を見つめる私の目から涙がこぼれ落ち続けていた。
医師として長く、多くの患者さんとご家族を診てきた。脳腫瘍という病と闘う方々。支える家族たち。そこにあるのは、常に「支え合っている姿」だった。病む者と看る者。強さと優しさ。諦めない心と、寄り添う心。特に母親の存在は、患者さんにとって何にも代えがたい力になる。無償の愛。無条件の信頼。それが、どれほど人を支えるか。
『栄光のバックホーム』は、横田慎太郎選手が脳腫瘍から復帰し、再びグラウンドに立つだけの物語ではない。脳腫瘍という絶望から立ち上がるそばには、必ず一緒に歩いてくれる「家族の愛」という支えがあった。常に母の愛があった。どんな時も信じてくれる存在。それが母だ。励まし、支え、見守る母。「頑張って」と言い続ける母。母の愛は純粋だ。見返りなど求めない。
息子の病を知った時の母の表情。病室で励ます母の言葉。「必ず戻れる」と信じ続ける母の眼差し。リハビリに付き添う母の背中。そして、再びグラウンドに立つ息子を見守る母の姿。
人は一人では生きられない。支えられて、支えて、また支えられて、人生という長い道を歩いていく。横田選手は残念ながら28歳という短い生涯を閉じた。しかし、彼が遺した『栄光のバックホーム』が、今度は残されたご家族の支えになっているはずだ。
『栄光のバックホーム』は、その真実を描いている。横田選手が復帰できたのは、本人の努力だけではない。母の愛があったからだ。だからこの映画は、横田選手の奇跡の物語であると同時に、母と息子の深い絆の物語なのだ。
映画を観終わった後、私は母のことを考えずにはいられなかった。
公開まで、あと5日。
観終わった後、あなたは必ず自分の母のことを思い出すだろう。そして、気づくはずだ。自分がどれほど愛されてきたかを。
小さくなった母の背中。でも、その背中から、今でも深い愛を感じる。
お母さん、ありがとう。今日はこのあと電話でもしよう。 - K0183
K0183 見城さん。大変お忙しい中、いつも気遣っていただけることに心から感謝申し上げております。見城さんのように強く、優しく生きていく。まず今日一日、その思いを胸に努力いたします。
755の皆さまもいつも本当にありがとうございます。皆さまが私の支えです。
業務上の緊急事態が発生しました。本当は今日、初めて幻冬舎に伺い、日本で最も勢いのある出版社の空気を感じて目に焼き付け、その後、予約が取れるなら『ひとりしゃぶしゃぶ 厨 七代目松五郎』—見城さんを語り合う皆さまの"聖地"—をついに訪問する計画でした。
ああ、とてもいい天気だ。諦め切れないけど、諦めなければならない。悔いなしの心境になり切れない自分の未熟さを、改めて感じています。
では、行ってまいります。今日もよろしくお願い申し上げます。 - K0183
K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと4日。
「支えられて、生きている」
脳外科医として長く働く中で、私は数え切れないほど多くの患者さんとご家族に出会ってきました。
ベッドサイドの椅子に、一日中座り続ける父親。
廊下のベンチで、一晩中決して家に帰ろうとしない母親。
手術室の前で、何時間もじっと手を握り合い、祈るような表情で待ち続ける家族。
術後の面会で、麻酔から覚めきらない患者さんの手を握りしめ、声を殺して泣く妻。
脳腫瘍と告げられた瞬間から、闘うのは患者さん一人ではありません。
その日から、ご家族もまた同じ重さの現実を背負い、共に戦うことを強いられます。
再発を伝えたときも、先に泣き崩れるのは、ご本人ではなくご家族であることも少なくありません。
その横で、患者さんはむしろ冷静な顔でこちらを見つめ、泣きじゃくる家族を安心させようと、懸命に強く振る舞おうとする――何度もそんな光景を見てきました。
医学は、病気を治すためにあります。
しかし、どれほど手術の技術が進歩しても、どれほど薬が良くなっても、人の心のすべてを支えることはできません。
最後の一線で患者さんを支えているのは、やはり「家族の愛」だと痛感します。
人は、一人では生きられない。
どれほど強そうに見える人でも、誰かに支えられて、ようやく立ち上がることができるのだと思います。
ずっと私は一生懸命、必死に働いてきました。
3年前、11年ぶりに実家へ帰省しました。
空も海も、昔と何も変わらない。
驚いたことに、11年も帰っていなかったのに、私の部屋はあの頃のままでした。
あっという間に帰る日が来て、両親が空港まで車で送ってくれました。
仕事が忙しいと言い訳して、長い間、両親をほったらかしにしていた。
私は両親に何をしてあげられただろうか。
私は両親に、何を返せているだろうか。
なのに、もうまた遠く離れて、帰らないといけない。
そう思うと胸が締めつけられ、空港へ向かう車中で、もう涙が止まらなかった。どうしても止められなかった。
車から降りたら、せめて「お父さんもお母さんも体を大切にして、元気でいてください」とだけは言おうと思っていたけど、涙が溢れて言葉にならなかった。両親はただ微笑んで私を見つめてくれていた。
「では行って参ります」どうにか声を絞り出して、言えていたと思う。
きっと泣き虫なままだと思われていたかもしれない。
遠く離れて暮らしていても、私はずっとこの両親の存在に支えられてきた。
患者さんを救えずに打ちのめされた日も、もう立ち上がれないと思った夜も、父と母ならなんと言ってくれるだろうと、なんとか踏みとどまり、また立ち上がれた。
私もまた、家族に支えられて生きている一人なのだと、この映画を観て改めて実感しました。
過去を振り返れば、そこには確かにいつも、私を支えてくれた人たちの姿があります。
厳しくも温かい師匠、共に戦ってくれた仲間たち、そして遠くから黙って見守ってくれていた人たち。
そして、今もまた支えられている。
横田慎太郎選手もまた、病と闘うその背中を、家族や仲間に支えられながら前に進んだ一人だ。
公開まで、あと4日。
この映画は、単なる選手一人の復活の物語ではない。彼を支え、共に戦い、共に泣き、共に喜び、そして見送ったご家族の物語でもある。
また、この映画を観に行きたい。
今を生きる全ての横田慎太郎たち――
病と闘う人、そのご家族、そして自分自身を含めて――
みんな、誰かに支えられて生きている。
この映画を通して、もう一度強く、その思いを抱きしめたい。
そして、伝えたい。
「支えてくれて、ありがとう」