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K0183

「父親」はもうこの世にいない。色々教えてくれたけど、最後は両親が死んだらこんな想いをするんだなと教えてくれた。私に色々授けてくれ、一人前にしてくれた。周りが嫉妬し妬むくらい、私だけはとても可愛がってもらえていた。私の人生にいてくれて、感謝しかない。こんな言葉では到底言い尽くせない想い。 「暗闇でジャンプ」した後も泣きながら必死に歩いた。どうやってここまで歩いてきたか分からない。 ふと後ろを見ると、泣きながらついて来ている人たちがいる。 後ろを向く余裕なんてなかったから、ついてくるの大変だっただろうな。 この人たちに、「正直、誠実、善良、真心」を尽くせているのだろうかと、バトンを見ながらふと考えた。「父親」は死んだ後でもまだ教えてくれる。 これからは、もうそんなに泣けないな。でも心の中ではきっと泣いている。 でも、最後は微かに笑ってバトンを渡したいな。 そういえば「父親」も最後は優しく微かに笑っていたな、、、

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K0183のトーク
トーク情報
  • K0183
    K0183

    IMPOSSIBLE IS JUST A BIG WORD THROWN AROUND BY SMALL MEN WHO FIND IT EASIER TO LIVE IN A WORLD THEY'VE BEEN GIVEN THAN TO EXPLORE THE POWER THEY HAVE TO CHANGE IT.
    IMPOSSIBLE IS NOT A FACT. IT'S AN OPINION.
    IMPOSSIBLE IS NOT A DECLARATION. IT'S A DARE.
    IMPOSSIBLE IS POTENTIAL.
    IMPOSSIBLE IS TEMPORARY.
    IMPOSSIBLE IS NOTHING.
    不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ──現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
    不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。
    不可能とは、誰かに決めつけられることではない。挑戦だ。
    不可能とは、可能性だ。
    不可能とは、通過点だ。
    不可能なんて、ありえない。

  • K0183
    K0183

    あの時、見城さんの言葉が私に「覚悟」を問いかけ、アリの言葉が私を「限界への挑戦」に駆り立ててくれたのだと思います。今もなお、この二つの言葉は私の心の中にあり、何か困難に直面したとき、立ち返る場所となっています。

  • K0183
    死ぬために生きる死ぬために生きる
    投稿画像

    2年ぶりのプロサッカー選手復帰から、1週間が経過した。

    お世話になっているにも関わらず、連絡をできていない皆様申し訳ございません。

    復帰した事実や瞬間が、あまりにも日常の一つ、当たり前のことのように感じられ、これは報告をしてお時間を頂戴するほどではないと感じ、連絡できずにおりました。

    ただただ僕という男一匹が復帰したという事実。それだけでした。

    やっとスタートラインに立っただけで、むしろここからが重要になる。
    外国でプロとしてお金をもらうということは、外国人助っ人として、優れて当たり前の結果とプレーが求められる。

    有難いことですが、ここからは地獄の始まり。
    次々に結果を求められ、有難いことに相手には対策され、日々やることをやらなければ、生ききらなければ脱落していく世界。

    絶望しきって死ぬために、その礎としてまず絶望しきって引退する。
    僕にとって引退するまでのこの2年間は、残りの人生を熱狂して生きるための鍛錬、精進の期間。

    試合に対して未だに恐怖や不安を感じ、常に自己嫌悪になる自分。
    死ぬために生きるとうたいながら、家族や友人達もいつか死んでしまうのかと強烈に寂しくなる自分。

    そんな自分を受け止め、ただただ熱狂して生きるしかない。

    30歳で2年ブランク。
    僕は今サッカー界ではほとんど価値がない選手。

    「勝者には何もやるな」
    引退する時、人生を終える時、微かに笑うために。

  • K0183
    K0183

    ご本人が、「日常の一つ」と仰っているので、あまり大騒ぎしないようにと思いましたが、秋山純さんがリトークされましたので、もう我慢できません。私もさせて下さい。本当に嬉しいです。親子ぐらい年も離れていますが、一対一の男同士、同じ「深夜特急」に乗るもの同士、心から応援しています。おめでとう、神のご加護を。

  • K0183
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    ↑[K0183]さん、リトークとご投稿をいただき有難うございます。
    かっこつけて綺麗な言葉を重ねましたが、実際は明日の試合に向けて憂鬱と自己嫌悪に襲われている最中ですので、[K0183]さんにお言葉をいただき、心が温かく、軽くなりました。
    本当に有難うございます。
    引退するまで、命を落とすまで、熱狂して闘い続けます。

  • K0183
    見城徹見城徹

    人は死というゴールに向かって泣きながら生まれて来る。生きるという困難に泣きながら耐えるという最初の儀式のようなものだ。泣いて生きる資格を得る。人は泣きながらその後の人生を生きる。自分の人生を価値あるものにするために困難と戦う。だから、最後は微かに笑いたい。自分の生きた証を微笑みながら噛み締めたい。

  • K0183
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2023年7月の親父の投稿のリトークです。

    夜空に咲く打ち上げ花火の様な死に様に憧れていました。
    今の僕は、色々なご縁のおかげで、線香花火の様に死んでいきたいと思っています。
    この歪な形の魂が、いつか綺麗な球体になるまで。執着のひとつひとつを捨てながら。削ぎ落として、研ぎ澄ませて。磨いて、磨いて、磨き上げて。振り絞って、やり切って、出し切って。
    何もかも空っぽにして力尽きたい。そうやってこの世から、綺麗さっぱり消えていきたい。
    その刹那、微笑み浮かべて死ぬために、今を必死で生きるんだ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • K0183
    K0183

    「泣きながら生きる」ことに、想いを巡らせてみました。
    ずっと泣きながら生きてきたような気がします。 自分の人生を意味あるものにするために、困難に挑み戦ってきた。 勝つこともあったが、死に至るほどの傷を負ったことも数え切れない。
    私には人生の師、仕事の師匠という言葉では言い尽くせない「父親」がいた。 よく道端で子供が泣きながら親の後をついていくのを見るけど、あんな感じ。 親だと思っているからついていくんだよな。 私もついて行った、泣きながら。本当に険しい辛い道しか通ってくれないから、ついていくのは大変だった。何度も何度も転んだけど、全然止まってくれないし。それでもついて行った。途方もない時間ずっとついて行った後、突然一人になった。いきなり渡されたバトンを受け取って、一人暗闇の中。当然、道なんてないところをついて来たから、一人立ち尽くした。その後、泣きながら「暗闇の中でジャンプ」した。

  • K0183
    K0183

    「父親」はもうこの世にいない。色々教えてくれたけど、最後は両親が死んだらこんな想いをするんだなと教えてくれた。私に色々授けてくれ、一人前にしてくれた。周りが嫉妬し妬むくらい、私だけはとても可愛がってもらえていた。私の人生にいてくれて、感謝しかない。こんな言葉では到底言い尽くせない想い。
    「暗闇でジャンプ」した後も泣きながら必死に歩いた。どうやってここまで歩いてきたか分からない。 ふと後ろを見ると、泣きながらついて来ている人たちがいる。 後ろを向く余裕なんてなかったから、ついてくるの大変だっただろうな。 この人たちに、「正直、誠実、善良、真心」を尽くせているのだろうかと、バトンを見ながらふと考えた。「父親」は死んだ後でもまだ教えてくれる。
    これからは、もうそんなに泣けないな。でも心の中ではきっと泣いている。 でも、最後は微かに笑ってバトンを渡したいな。
    そういえば「父親」も最後は優しく微かに笑っていたな、、、

  • K0183
    K0183

    見城さん、リトーク、リアクションありがとうございました。