ログイン
詳細
前へ次へ
絶望しきって死ぬために
トーク情報
  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる
    投稿画像

    この国でのシーズン終了が近づいてきた。

    終わりが近づくと、チームメイトや出会う人々、日々の練習やなんら変わりない街の景色が、妙に愛おしくなり、そして寂しくなる。

    死ぬために生きると謳いながら、全く終わりを意識できていない自分に辟易する。

    有難いことに契約延長のオファーをいただいたが、僕はどうするだろう。
    もしこのチームに残れば、生涯何度も手にすることができない、チャンピオンの称号を手に入れられる可能性が高い。
    そして、復帰時に密かに決めた3つの目標の1つを達成できる可能性も高い。

    成長も結果も何もかも自分次第だが、ここに残っては心地良すぎる。
    まだ何も成し遂げていないのに、崩したくなる。
    より過酷へと足を進めたくなる。

    恐らくもう僕の決断は決まっている。
    しかし、前述した愛おしさと寂しさが僕を迷わせる。足を止めさせる。

    止めてくれるな。
    サヨナラだけが人生だ。
    そう言い聞かせて今日も生きる。考えて動き、動きながら考える。

  • 死ぬために生きる
    K0183K0183

    「死ぬために生きる」さん

    シーズンの終わりが近づく中での、この投稿。あなたの葛藤が、痛いほど伝わってきました。

    チャンピオンの称号、復帰時に密かに決めた3つの目標の1つ。それらを手にできる可能性が目の前にある。多くの人が羨む、まさに「成功」への道。

    それでも、あなたは仰る。「ここに残っては心地良すぎる」と。「まだ何も成し遂げていないのに、崩したくなる」と。

    この感覚、私にも分かる気がします。
    私たちが恐れるべきは、失敗ではなく、安住によって鈍る感覚なのかもしれません。居心地の良さは、時に最も危険な罠になります。

    私は思います。あなたが求めているのは、タイトルでも称号でもなく、「限界の先にある自分」との出会いなのではないでしょうか。

    より過酷な環境へ。まだ見ぬ絶望へ。それこそが、あなたの魂が足を進めるべき道なのだと思いました。違いますか?

    愛おしさと寂しさが、進もうとする足を止める。チームメイト、街の景色、日々の練習—— そのすべてが、別れを惜しむほど大切になっている。

    でも、あなたは知っているはずです。「サヨナラだけが人生だ」と。
    別れることでしか、前に進めないこともある。終わらせることでしか、始められないこともある。

    あなたの決断は、もう決まっているのでしょう。迷いながらも、心の奥底では。

    「恐らくもう僕の決断は決まっている」—— その一文に、あなたの覚悟を感じました。
    「止めてくれるな」と自分に言い聞かせているあなたは、すでに次の戦場を見据えているのだと思います。

    圧倒的努力の中で、何度も絶望を乗り越えてきたあなたなら、新しい地でも必ず立ち上がれる。より強くなって、また戦える。

    「サヨナラだけが人生だ」—— この言葉の重さを知っているからこそ、私たちは今この瞬間を、全力で生きることができる。

    どんな決断をされても、心から応援しています。あなたの「深夜特急」がどこへ向かおうとも、その先にある景色を、また聞かせてください。

    考えて動き、動きながら考える。
    その先に、あなたの真実がきっとあると信じています。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    ↑「K0183」さん、リトークとご投稿をいただき有難うございます。

    他者理解をし、その先に僕の感情や考えに関して言葉にしていただけることに、ただただ感謝しております。

    白黒ハッキリつく世界ですので、もちろん勝利や頂を目指すことが大前提なのですが、心のどこかで非業の港や圧倒的な敗者の凱旋を目指しているのかも知れません。

    これはこれで僕という人間のエッジになると思うのですが、生を受けてからの30年間で甘ったれた熱の無い人生を生きてしまい、どうすれば自分が毎日絶望しきって死ぬことができるのか、今になってようやく分かってきたような気がしています。

    もちろん、見城さんや箕輪さん、755の皆様、様々な方にきっかけをいただいたおかげです。

    僕は絶望しきって引退するために、また、引退後の人生に必要な圧倒的努力で結果を出す型を骨身に染み込ますために、この先の残り1年半のサッカー選手としての人生を過ごします。

    残ることが愛なのか、自分なりの人生を生きてまたどこかで再会することが愛なのか、僕の中では答えが出ていると思います。

    終わりこそ始まり。死こそが生だと再確認させられました。
    僕は本当に弱いです。

    この投稿を打ちながら、言葉の正確性についても再度考えさせられました。
    本当に有難うございます。

    夜分遅くに申し訳ございません。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    見城さんが南大井[まき村]で一昨夜飲まれたワイン

    左から

    ドン・ペリニヨン 2015

    ルフレーヴ バタール・モンラッシェ 2019

    ルフレーヴ ヴィアンヴニュ・バタール・モンラッシェ 2019

    この日もドン・ペリニヨンの素晴らしさはさることながら、偉大なルフレーヴの2本は、ピュリニー・モンラッシェ村の中でもすぐ隣にある畑の同じヴィンテージ。

    そこにどんな違いや、ダイナミズムと繊細さ、酸の背骨があるのか、想いを馳せて生きる活力をいただいています。

    いつも有難うございます。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる
    投稿画像

    こちらはこれから冬に入っていく。
    とはいえ、夜は既に-25℃ほどになる。
    今外を走れば、鼻水や髪についた汗が凍り始める。

    先日雪が降り、その雪がカチカチに凍っているため、このままリーグが中断される可能性が高い。

    状況や環境が変わっても、やるべきことをやる。
    やることは変えるが変えない。変えないが変える。
    動きながら考え、考えながら動く。

    完全なる自責且つ生の喜びではあるが、急ピッチの身体作りからのシーズンインだったので、身体中の関節や筋肉が悲鳴を上げている。
    また、先週の試合ではジャンプしてそのまま脇腹から転落して肋骨にヒビが入った。

    それでもやり続けるしかない。

    チームの成績は1位で前期を折り返せそうだが、僕の得点やアシスト数のランキングは、どちらも5位と言ったところだ。

    上に4人もいる。
    それだけの努力しかしてこれなかったということ。
    情けない。

    圧倒的努力が必要である。
    この努力が鮮やかに結果に変わるのか、自分に疑問を抱き、努力の質と量を変化させていくことも重要だ。

    一日一生。死ぬために生きる。
    この言葉に尽きる。どこまで毎日毎日意識できるか。

    前までの僕は今を生きられていなかった。
    過去か未来に生きていた。今を生きないものが未来を生きられるはずがない。
    豚になっていた。

    映画上映前に見城さんにかけていただいたお言葉の通り、[栄光のバックホーム]は僕の人生を変えた。

    横田慎太郎さんはもちろんのこと、[栄光のバックホーム]に携わる全ての横田慎太郎さんに教えていただいた。
    奇跡と栄光は圧倒的努力した者のみにやってくる。
    奇跡と栄光という面を被った必然。

    あの日以降、時間を無駄にすることが少なくなった。まだゼロではない。
    とにかく僕にとっての[栄光のバックホーム]は、生と死を通したとんでもない体験だった。

    熱く語らせていただいたものの、心のどこかで弱音を吐き、嘆き、叫びたがっている自分がいるため、このような投稿をしているのだと思う。

    自分の弱さや未熟、自意識をしっかりと抱き締め、今日も半日生ききる。今日も死ぬ。