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死ぬために生きる
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先日は母の誕生日だったので、[鮨大越]でお寿司をいただき、ワインも楽しんだ。 親方さんが丹精込めて握るお寿司も、故郷のワインも、クラウディ・ベイも、僕にとっては贅沢極まりないものだ。 何者でもない僕が素敵な食事やワインをいただいたわけだが、つくづく僕は自分自身に甘い人間だなあと思い知らされる。 特に今は復帰前で身体を作らなければいけない時期なので、本来であれば自分のルールの中では御法度だ。 しかし、母の誕生日となれば話は別だ。 話すと長くなるが、父はつい最近も警察沙汰を起こしたような人間だ。 だから僕は、幼少期から自然と母を頼りにし、母だけは裏切らない、悲しませてはいけないと思い生きてきた。 母は、父のことや様々なネガティブなことを自分の人生だと受け入れ、その上で働きに働いて、姉と僕を育て上げてくれた。 60歳になった今でも、次の日の明け方まで仕事をして帰ってくることがある。 地震があった際などは、自らが園長を務める子ども園が海沿いにあるからと、園児や職員を心配して地震直後に向かっていくこともあった。 身体や命は大事にして欲しいと思いながら、それでこそ僕が尊敬してやまない母の姿だと感心させられる。 僕が1年半ぶりにサッカー選手復帰を決めたのは、圧倒的努力を骨身に染み込ませるため、絶望しきって引退するためなのだが、心の片隅に、母にちゃんとしたスタジアムでの試合を観に来て欲しいと言う気持ちがあるからだ。 お互いいつ死んでも良いように、感謝は伝えるようにしているが、願わくばその試合を観てもらえるまでは健康でいて欲しいと思う。 つまるところ、僕は母離れできていないのかもしれない。 母との会話に花が咲き、昨日はいつもより少し多くワインをいただいてしまったので、今週のトレーニングは立てていたトレーニングプランよりもハードに行う。 母よ、誕生日おめでとう。 そしてありがとう。

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絶望し切って死ぬために
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  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    見城さんが昨晩飲まれたワイン

    左から

    ドン・ペリニヨン P2 2006

    ドン・ペリニヨン P2 2006

    ドメーヌ・ルフレーヴ バタール・モンラッシェ 2020

    コシュ・デュリ ムルソー 2021

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる
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    昨日は箕輪さんのイベント。
    会う度に箕輪さんに魅了されるが、ここ最近の流れと昨日のイベントで、より一層箕輪さんに魅了された。

    アンチに殴れるだけ殴らせて、その後倍以上に殴り返す箕輪さんも見たかったが、アンチはSNSでしか戦うことができないので、昨日は全く持って平和なイベントだった。

    箕輪さんは狙っていなかったかもしれないが、騒動は既にストーリー、物語になりつつあるし、昨日のイベントも見事なコンテンツになっていた。

    破天荒さと繊細さ。ものすごく論理的な部分と純粋な少年のような心。

    箕輪さんは振れ幅がすごい。
    両極を行く。両極を持っている。このスイングに僕は激しく魅了される。

    僕なりの騒動や最近の流れへの解釈は、箕輪厚介と言う個体、異物、変態に対し、共同体の快楽に溺れて浸っている人達や、社会で満たされず自分に目を向けられない人達が、社会の全体性を感じるために外から石を投げているだけだ。

    確かにゴシップなどは人の心に刺さりやすく関心も集めるが、本当に公益性や社会性、ジャーナリズムを考えるならば、人の家庭で何が起きているかよりも、社会の闇に命懸けでぶつかり、何かを良い意味で破壊する記事が見たいものだ。

    箕輪さんが箕輪さんの人生を生きている限り、僕は一生ついていく。本当に命を張れるし、逮捕くらいならされてもいい。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    ↑ 見城さんにそう言わせてしまうこと自体が、僕の不徳の致すところです。
    本当にお恥ずかしい限りです。申し訳ございません。

    見城さんは、僕のような若造に対しても、誰に対しても、自己検証、自己嫌悪、自己否定を持って付き合ってくださっている。

    見城さんの凄さや大きさを感じます。

    僕にとっては、ワインを通して755を通して、生きていく上で必要なものを学び、それらを僕の血肉に変えていく大事なトークです。

    やらなければいけません。これからもよろしくお願いいたします。