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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    見城さんが赤坂[88]にて昨夜飲まれたワイン

    クラウディ・ベイ 2024


    遅ればせながら、見城さんお誕生日おめでとうございます。
    僕は見城さんに命を救っていただきました。
    生きるとは、結果を出すとは、真っ当とは、日々教えていただいています。

    生涯、いえこの身が滅びようとも、永久に見城さんの後塵を拝します。
    これからも、見城さんの変わらぬご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

    ワインの紹介にて見城さんへの想いをお伝えしてしまう、僕の自我をお許しください。

  • 見城徹
    umiumi

    ああ…皆さん、こっそりと呟かれている。
    わたしはここで見城さんの脳内だけに呟かせていただきます。
    見城さん、お誕生日おめでとうございました!
    いつまでもお元気で、いつまでも編集者である見城さんを目撃し続けさせていただきたいです。ハートの瞳で。

  • 見城徹
    秋山純秋山純
    投稿画像


    今日の夕食

    カップヌードルと、カップワンタンのセット

    小学校高学年の頃
    給食が無い日の昼ごはん

    家に帰ると食卓に置いてあった
    週に一回のお楽しみ


    「お湯を入れるだけやから、自分で作れるやろ」

    母が嬉しそうに言っていた記憶がある

    カップヌードルに、カップワンタンが加わったのは
    小学5年生の頃だったかな

    デザインは、今と少し違って、縦長ギザギザカップだった

    不器用な僕は、袋に入ったインスタント麺は
    うまく作れなくて
    今考えると、カップ麺は高くて贅沢だったから
    無理して買ってくれてたんだなあ…

    あの頃は
    二階に親戚の家族が住んでいて
    叔母がやって来ては母に文句ばかり言っていた

    「子供には、お弁当食べさんとあかんやろ」

    利いた風な口を利く
    そいつのことが嫌いだった

    お前に何がわかる?  

    小学2年の時、父が亡くなった
    親戚はなんにも助けてくれなかった
    ほんの僅かだけあった父の形見を持ち去っただけだ

    看護師の仕事を再開した母は
    昼も夜も働いていたから
    お弁当作る時間も無かった

    子供でも
    それくらいのことはわかる


    鍵っ子
    母子家庭
    ててなしご
    いじめられて、陰口たたかれた記憶

    父親参観日にも、母は必ず来てくれた
    男親ばかりの教室
    母は平気な顔で立っていた

    ててなしごで何が悪い?
    誰かの親に食ってかかる姿を見たことがある

    あの頃
    母に言われたこと


    屈するな
    行きたい道を行けば良い


    中学受験をして
    私立の中学校に受かった

    母は夜勤の仕事を増やして
    夜中まで働いた

    夜勤帰りに
    ケンタッキーフライドチキンを買って来てくれた

    手作りのお弁当だけが
    母の味ではない


    カップヌードルもカップワンタンも
    ケンタッキーフライドチキンも

    あの頃の母の味がする




  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 飛行機の中で秋山純の755を読みながらポロポロと涙が落ちている。秋山純と出会い、信頼を育み、遂には一緒に映画を作った。秋山がテレビ朝日時代から知ってはいた。しかし、755で再会してから濃い付き合いになり、今では運命共同体になった。秋山と一緒に戦い、一緒に生きているのが凄く嬉しい。秋山純が辿って来た遥かなる道のりを想う。人にはそれぞれが背負わなければならなかったどうしようもない事情がある。声高には語ったことがないが僕にもやるせない事情があった。恥ずかしさに耐え、圧倒的努力で突破して来たつもりだ。秋山純は今、何故この文章を書いたのか?僕には解る気がする。秋山純の人生の「栄光のバックホーム」。きっと彼にその瞬間が訪れたのだ。胸一杯に溜めて来た切なさを引き受け続けて最後に微笑むことが出来た奇跡のような一瞬。
    [勝者には何もやるな]
    アーネスト・ヘミングウェイの小説のタイトルが甦る。秋山純には何もやるな。栄光のバックホーム。アンパイアの「OUT!」をコールする姿が僕の脳裏に鮮やかに刻印されて、涙が止めどもなく流れ落ちる。755よ、有難う!

  • 見城徹
    秋山純秋山純

    見城さん

    抱えきれないくらい
    素敵な言葉で送っていただき
    ありがとうございます

    あと少しだけ
    静かな時間を過ごします



    年明け
    ものすごいパワーが
    降りて来る予感があります

    間違いなく


    青春の門
    筑豊編がまもなく幕を閉じます


    自立編は
    これから始まります

  • 見城徹
    ikutamaikutama

    〔栄光のバックホーム〕2回目。再び見たいと思わせてくれたこの映画と755に感謝します。同じ映画を2回観るのは、生涯初めて。この時点で私の人生を変えています。これほどの刺激が、日常に何度あっただろうか。終わりまで真剣に向き合う映画鑑賞という約束、その先にある横田慎太郎さんとの再会。

    今回は素振りのシーンが心に沁みました。私は“素振り”をしてきただろうか。何かを独り積み上げただろうか。「嫌い」になるまで向き合ったか。
    そして北條さんのシーンに心震え、何度も涙しました。独り努力を続けた先にある、仲間との出会い、交わり、刺激。阪神のユニホームが最高に輝いていた。
    「自分の人生はこれでいいのか」自己検証します。そして背筋を伸ばしてまた横田さんに会いに行きます。

  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる
    投稿画像

    年末は小学生年代のサッカー大会の運営と、ある高校のサッカー部のサポートに時間を費やした。

    小学生も高校生も、真っ直ぐな想いで真っ直ぐな目で、淡くて切ない青春を生きていた。

    僕もこの時間を生きていた。

    あの頃を思い出すと、最高に幸せな淡い時間が僕の中で輝き出す。
    しかしそんな輝きを消すように、後悔や憂鬱、恥ずかしさ、切なさが僕の心を覆う。

    あの頃に中途半端な努力しかしてこなかったから、僕は今中途半端なサッカー選手なのだ。
    家族はもちろん、関わってきてくれた全ての人に申し訳ない。

    僕はそんな人たちや、何より自分への義理を果たすためにサッカー選手として復帰した。

    もちろんそこまで長く生きられる保証もない。
    そして自分にはそんな勇気はないと知りつつも、長く生きようとは思っていない。
    もし幸運にも10年後、20年後、、、50年後に命があれば、その時々で幼少期を思い、淡く切ない感情になるだろう。

    きっと30歳の今のことを思い出しても、その時々で淡く切ない感情になる。

    あの頃の時間は戻ってこないし、今も戻ってこない。
    今が1番若く、今圧倒的努力しなかったことは将来圧倒的後悔となって僕を襲うだろう。
    そうなった僕は、命はありながら生きていない状態になっているはずだ。

    時間と死は平等だ。
    死ぬために生きろ。絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ。

    死が怖い自分だからこそ、熱狂しなければいけない。

    思いっきりの敗者の凱旋。

    本当に見城さんに命を救っていただいた。

    完全なる自己救済となるこの駄文。
    どれだけ綺麗なことを口にしようと、一日一日を生ききり、死にきるしかない。

    「日本代表になる」
    「プロになる」
    「全国選手権に出てみたい」
    僕に目標を伝えてくれた小学生と高校生の真っ直ぐな目は、僕の情けなさや後悔をどこまで見通していただろうか。

  • 見城徹
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)

    年の瀬の病院には、多くの人が駆け込む。もっと前からわかっていたはずなのだ、その体調不良は。けれど、仕事を休めず、介護を休めず、自分を後回しにした結果、晦日に病院の門を叩く。医者は「もっと早く来てくれれば」と言う。でも、そんなことは本人が一番わかっている。生きるために、誰かを生かすために、健康を後回しにせざるを得なかったのだ。そんな人のために、僕は今年もメスを持つ。