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見城徹
秋元康
秋元康
僕も人脈を作ろうとする人が苦手です。無理に紹介してもらって、名刺を交換して、人脈ができたと勘違いする人と友達にはなれません。やじコメをくださった方が勘違いなさっているのは、僕は“意図しない出会い”から付き合いが始まるということを表現する時に、「ドミノ倒し」を使ったのだと思います。“意図しない出会い”の連鎖を、人は客観的に人脈と言うのでしょう。

「意図しない出会いの連鎖」が僕も強いて言えば「人脈」です。自分がこの世間で影響力のある結果を出してさえいれば、ドミノ倒しのように出会いは連鎖して行きますよね。正に実感です。こちらから求めて作る「人脈」など豚に喰われろ、と思います。パーティで名刺を配り、もらいまくる姿は見ていて吐き気がします。表面的な会話など何も生み出しません。だから、「人脈交流会」などは愚の骨頂ですね。自分のキラーカードと相手のキラーカードが交錯し合うそこにこそ「出会い」はあります。意図しないところでそれは成立します。嫌な言い方ですが、一流同士とはそういうものです。秋元に引き合う一流であるために、僕は実力を溜め込みます。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    見城さんが飲まれたワイン

    クラウディ・ベイ

    クラウディ・ベイは、“ニュージーランドのワイン”、“ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブラン”を世界に知らしめたワイン。

    果実味や糖度がありながらも、酸の背骨が通っており、なんとも調和が取れている。

    しっかりしていながらも主張し過ぎないので、様々な料理を引き立ててくれる。

    見城さんが載せられている、カツズさんの料理とのペアリングを考えると口元が緩み涎が出てくる。

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年6月23日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2018年4月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    「夢」「希望」「理想」「情熱」「野心」「野望」について熱っぽく語る人が嫌いだ。結果が一つも出ていないで語るそんな言葉は豚の餌にでもなればいい。悪戦苦闘して匍匐前進している人たちは決してそんな言葉を口にしない。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    「成功」という言葉も大嫌いだ。「成功」とはブロセスとしてのその時の一つの結果に過ぎない。「成功」かどうかは自分の死の瞬間に自分で決めるものだ。それまでは全部途中経過だ。貧しくても惨めに見えてもいい。自分が最後の瞬間、微かにでも満足するならその人の人生は「成功」なのだ。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2018年4月の親父の投稿のリトークです。

    いつも僕は思います。実は未来が先に決まっていて、そこから過去に戻る様に時間は流れている気がするのです。過去の全てが、これから起こる全ての出来事が、死の瞬間までの伏線を回収しているに過ぎない様に思うのです。
    だから僕には夢を語っている暇はない。そもそも未来に夢も希望も存在しない。この道の先にあるのは死だけだ。だから今を必死に生きる。いつか必ず訪れる死を前に、誠実に善良に目に映るもの全てに感謝しながら、淡々と天から与えられた生命を全うする。微笑み浮かべて死ぬために、今日を精一杯生きるんだ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    鯖缶鯖缶

    「まっくろうはフランス語で鯖という意味だよ」
    755を始めたての頃、鯖缶と名乗る私にそう教えてくれた見城さん。

    いつか訪れてみたい[サロン・ド・グー]
    私の憧れです。

  • 見城徹
    鯖缶鯖缶
    投稿画像


    圧倒的な映像の美しさと迫力、瞬きすらも惜しい3時間...
    映画「国宝」を娘と観てきました。

    任侠の世界から飛び込んだ喜久雄と、名門に生まれた俊介。対照的な背景を持つ二人の青年が、歌舞伎という伝統芸に命を賭けて挑む。
    「才能か血か」運命に翻弄され、彼らが目指す“頂点"その境地で見たい景色は何なのか。

    血筋と才能、栄光と没落、相生と宗国、喜久雄と俊介のふたりは常に光と闇の関係。
    どちらか一方分かりやすく悪者ならいいのに、どちらにも感情移入してしまって、片方が栄光にいる時でも苦しくて。
    涙が勝手に溢れてしまいました。

    どのシーンもどの俳優もどの衣装も音楽もと何もかも、あまりにも美しく、あまりに凄く、あまりに想う事が多すぎて、頭が混沌として全く整理できません。
    ただただ、途轍もなく凄いものを観てしまったと余韻に浸るだけ。