ケント見城様 身に余るお褒めのコメントありがとうございます。 正直、見城さんからこのようなコメントをいただき天まで昇るくらい嬉しいです^ ^ ケント拝
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 三上雅博三上雅博 ↑
おはようございます。
2018年9月の親父の投稿のリトークです。
いつも吉本隆明の事を僕なんかが言葉にして良いのか躊躇います。僕は755で親父の投稿を見て、初めて吉本隆明の詩と出会いました。その初めての感想は「格好良い」。「美しい」。頭から爪先まで電撃が駆け巡る様でした。
残酷な真実をこんなにも美しく表現出来る事に心が震えました。同じ時代を生きていない僕には吉本隆明の心情を細部まで読み解く事は難しいですが、僕なりに解釈して自分の人生と心境を重ねて読んでいます。読めば読むほど深く堕ちていく様な感覚になります。特に「ちひさな郡への挨拶」が大好きです。
親父の投稿で何度も目にする「マチウ書試論」は、修行の足りない僕にはあまりにも恐ろしく、未だ触れられずにいます。
どう読むか。どう読んだか。自分の人生の問題。抱える悩み。その葛藤。苦しみや憎しみや悲しみを重ねる事で、新しい世界が見えてくる。
読書という荒野。僕も荒野を行く。地獄の底で踊り狂え。
本日も皆様、宜しくお願い致します。見城徹 かなかなかなかな 見城さんのことを思う。
多分誰よりも人の才能に惚れ込み、その可能性を本人以上に信じ込む。
そして、その才能を世に出すことに命をかける。
相手と血を流すような内臓の擦り合いのような、ぶつかり合いの中で、世に出ていく人たち。
尋常じゃない。
世の中が、時代が、薄っぺらい関係値にどんどんなっているから、余計に見城さんの凄さが際立つ。
見城さんのような人がいま世の中にいるのだろうか。
相手の機嫌を取ることだけに終始して、自分の意見を言わず、我慢して受け取るだけ。
そして我慢の限界がきて、その人の元から去る。
そんな人が多いのではないか。
去る方も去られる方も悲しいのに。
本当のところでぶつかって、関係性を作る。
そんな姿勢をずっと著書や755を拝見し、その切なさと尊さに涙が出るくらい感動してる。
無理やー。もう無理って思うたびに、見城さんを思う。
そして、見城さんの凄さに圧倒される。
この辛さの向こうの景色を見てみたい。
逃げて逃げてきたからこそ、次こそ、この痛みの向こうの世界を見てみたい。死ぬまでに。
【自己愛を吹っ切ると潔くなる。自分一人の中で耐え切ったものが発酵する。それがその人の香りだ。】
見城さんの言葉を胸に頑張ります。
逃げない!!