
三上雅博のトーク
トーク情報- 三上雅博
三上雅博 ↑
おはようございます。
2017年8月の親父の投稿のリトークです。
親父の言葉「ヒットの4原則」。
①オリジナリティがある事。
②明解である事。
③極端である事。
④癒着がある事。
僕はこの中で「癒着」が一番難しいと思っています。相手に対するキラーカードを持っていなければ興味すら持ってもらえない。まずはその武器を手にしなければ誰からも相手にしてもらえない。しかも自分の持つキラーカードが必ずしも相手に対するキラーカードになりうるかと言われたらそうでもない。人によって、嬉しい事も楽しい事も、悲しい事も苦しい事も違うから。
キラーカードとは、相手から必要とされる要素。相手を驚かせたり、喜ばせたり、幸せにできる力。悩みを解決したり、願いを叶えたりする能力。僕にそんな能力があるとは思えないから、この人だと心に決めた人に対して、一点集中するしかない。
かつて、親父が石原慎太郎さんに初めてお会いする際に、何冊もの小説を暗記して、ご本人の前で読み上げたと言う驚愕のエピソードは、僕の人生において指針となっております。
本日も皆様、宜しくお願い致します。 - 三上雅博
三上雅博 異業種交流会の話で僕もひとつ。
僕は北海道出身なので大阪に知り合いは皆無でした。地元小樽で商売に失敗して、自己破産して、全財産の100万円と包丁を握り締め、流れ着いたのが大阪の街でした。ビジネスホテルやカプセルホテルを転々としながら、求人の一番上にあると言うだけで応募したのが前の会社です。そこで寿司店をやりたいと相談を受け、どんな店にしたいのか話を聞いていたら、こぢんまりとした予約困難店を作りたいとの事でした。
北海道で店を潰したばかりの自分に、そんな事を成し遂げるのは絶対に不可能だと思いましたが、やるなら5年。そう決めました。その期間に目的を達成出来なかったら死のうとも決意しました。だからその時は5年で死ぬ計算で生きていました。(笑)
平均睡眠時間は1時間。否、家に帰れる時間が1時間。風呂に入って仮眠するだけの6畳のワンルームが唯一の休息の場所。ほぼ休み無しで働きました。
少しずつ周りの皆様の応援も頂ける様になり、8席の小さなお店ではありますが、1日2回転。多い時は3回転。定休日は常連様の為に解放し、結果的に3年ほどで予約1年待ちのお店を作ることが出来ました。
最初は大阪に知り合いもいないので、藁にも縋る思いで高い会費を支払い、異業種交流会にも参加しました。毎週一回、朝の6時にホテルに集まり、どれだけ会に貢献出来たかを話し合う。湧き起こる拍手と歓声。そこで毎回1分間スピーチをしたりしていましたが、段々と虚しくなって、僕には時間の無駄だと言う事がよく理解出来たので、3ヶ月も経たないうちに行くのを辞めてしまいました。 - 三上雅博
三上雅博 前の店で働いている時代は、よく私服警官に声をかけられ職務質問を受けました。何十回されたか覚えていません。僕には1日で3回職質された記録があります。
住んでいた場所がミナミの繁華街からほど近くの、治安のあまり良くない場所だと言うのもありますが、当時の僕と言ったら、寝ないで働いていた事もあり、頬は痩け、目は窪み、隈は濃く、顔は青白く、何年も前に買ったアディダスの赤いダボダボのジャージの上下を着て、坊主頭でふらついて歩いていましたので、怪しいと言ったらありゃしない。警察の人の気持ちが痛いほどわかります。太陽に当たらなすぎて直射日光を浴びると湿疹が出てしまうので、真夏でも常に長袖を着ていました。職質の理由はわかっています。誰がどう見ても廃人の様なその外見です。ポケットから財布の内側まで徹底的に調べ上げられます。もちろん何も悪い事はしていないので納得するまで好きにしてもらうのですが、時間を取られる事には憤りを感じてしまいます。
そんな経験から、僕には特殊能力が備わりました。私服警官を離れた場所から特定できる能力です。全くなんの役にも立たない能力です。
思い出の赤いジャージも随分前に女将に捨てて良いか聞かれ、涙ながらにお別れしました。最近はもう職質される事は無くなりましたので本当に良かったです(笑) - 三上雅博
三上雅博 ↑
おはようございます。
2017年10月の親父の投稿のリトークです。
日本で最も苛酷な修行「千日回峰」。途中で辞めることは決して許されない。遺書を書き、いつでも死ねる様に短刀を持って修行に入る。生死を彷徨うその苛酷すぎる修行を二度も達成された「酒井雄哉大阿闍梨」。
実際に南極に行って命懸けの撮影をすると言う「南極物語」のオファーに悩み苦しんだ名優「高倉健」は酒井雄哉大阿闍梨に頂いたその言葉を胸に、決意を固め、覚悟を決し、南極へ渡り命を賭して戦った。そしてそれは大ヒットへの道へ繋がる事になる。
親父も座右の銘としているこの言葉を、黒の魔術師と称される金田石城さんが大迫力で書に認めた傑作。
「往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし」
ーーー酒井雄哉大阿闍梨
親父に教えて頂いたこの言葉を、僕も座右の銘とさせて頂いております。この言葉をはじめて見た時、全身に雷が落ちた様な衝撃がありました。この言葉こそが自分の人生だと確信しました。紡がれてきた伝説とこの言葉を胸に、精進を重ねて生きて参ります。
本日も皆様、宜しくお願い致します。 - 三上雅博
三上雅博 親父、有難う御座います。涙
これは当時の写真です。送った頂いた時はしばらく書の前で正座をして見つめていました。
今は額装させて頂き、まるで最初からこの書を飾るために用意してあったかの様なスペースに飾らせて頂いております。額装して設置させて頂いた瞬間、空間にピッタリと嵌りすぎて鳥肌が立ちました。
お店の内装は大工さんや左官職人さん達と話し合いながら決めていきました。「水墨画の中に朱を一滴落とす」と言う僕のイメージが形になってくれたと思っています。そこに親父が「本物」を足してくれた事で、このお店の内装が初めて完成した様に思います。本当に嘘でも大袈裟でも無く、その為の空間がまるで運命かの様に最初から用意されていたのです。
毎日まな板の前に立つ僕の視界に入る場所に、この書が飾られています。僕は苦しい時、負けそうな時、挫けそうな時、逃げたしたくなる時、この書を見て勇気を頂いております。まるで親父に見守って頂いている様に思います。そして僕はこの書に恥ずかしくない様に生きて行こうと、強く強く思います。
鮨職人になる為にこの世に生まれてきた。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし。
親父、有難う御座います。