
三上雅博のトーク
トーク情報- 三上雅博
三上雅博 親父、有難う御座います。涙
これは当時の写真です。送った頂いた時はしばらく書の前で正座をして見つめていました。
今は額装させて頂き、まるで最初からこの書を飾るために用意してあったかの様なスペースに飾らせて頂いております。額装して設置させて頂いた瞬間、空間にピッタリと嵌りすぎて鳥肌が立ちました。
お店の内装は大工さんや左官職人さん達と話し合いながら決めていきました。「水墨画の中に朱を一滴落とす」と言う僕のイメージが形になってくれたと思っています。そこに親父が「本物」を足してくれた事で、このお店の内装が初めて完成した様に思います。本当に嘘でも大袈裟でも無く、その為の空間がまるで運命かの様に最初から用意されていたのです。
毎日まな板の前に立つ僕の視界に入る場所に、この書が飾られています。僕は苦しい時、負けそうな時、挫けそうな時、逃げたしたくなる時、この書を見て勇気を頂いております。まるで親父に見守って頂いている様に思います。そして僕はこの書に恥ずかしくない様に生きて行こうと、強く強く思います。
鮨職人になる為にこの世に生まれてきた。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし。
親父、有難う御座います。 - 三上雅博
三上雅博 ↑
おはようございます。
2017年10月の親父の投稿のリトークです。
僕はやりすぎてよく失敗をする。これがもしチキンレースだったとしたらもう何度も死んでいる。
僕はバカだから、やりすぎなければギリギリの場所がわからない。人に危険だからやめた方が良いと言われても納得できない。限界を超えて失敗をするからこそ己の極限がわかると思っている。手前でブレーキを踏んでしまったら自分の実力さえわからずに、勝負は終わってしまうから。だから僕はいつもやりすぎる。それで良い。もし生き残れたらラッキーだ。武士の心得「葉隠」の中でも言っている様に、早く死ぬ方を選択する事が僕の中の正解だから。後ろ指を刺されても、バカだと言われても、頭がおかしいと言われても、全てその通りだからしょうがない。
生きている実感は、いつもスリルの中にある。限界を超えろ。そして極限を目指すんだ。
本日も皆様、宜しくお願い致します。 三上雅博 中川 剛中川 剛 2025.6.7記
映画[国宝](6月6日公開)
以前、見城さんが755で書いて下さっていた映画[国宝]。見城さんが教えて下さるもの全てに触れることは叶わないけれど、ほんの一部でも触れたいと思う気持ちは持ってます。何故なら、そこには、心を激しく震わせるものが必ずあるからです。本物、本質、感動といったことを誰よりもご存知の見城さんのオススメはいつも本当に凄いです。今回も心震わされまくりました。
昨日、映画公開初日の夜、映画館に上映時間ギリギリで駆け込んで[国宝]を観てまいりました。
175分の大作。
飲み物を飲む事すら忘れて、175分間、全神経を映画に向けていたことに終わってから気が付きました。なんと言い表せば良いでしょうか。アクション映画の様な“ど迫力“という類のものとは全く異なるのですが、心が震えるほど圧倒的に鮮やかな情景でした。涙が溢れるほど圧倒的でした。
悲痛、緊張、恐怖、感動、躍動、嫉妬、衝突、苦悩、堕落、血筋、才能、そして、絶望、熱狂、覚悟。これら全てを抱えながら、ただ只管に芸の道に喰らいついて行く喜久雄と俊介。舞台裏での血を吐く様な努力。歌舞伎座の舞台に立てば、鮮やかな衣装を身に纏い、煌びやかな光を浴びて、色気が立つほど美しく舞う。死ぬ間際まで舞台に立ち続ける。[国宝]への道程は、あまりにも壮絶で複雑で言い表す言葉が見つかりませんが、芸の道にその身の全てを捧げた覚悟を感じました。幸せや善悪、そんな言葉は入る余地がない様に感じました。絶望と熱狂の方が似合います。
芸の道にこの身の全てを捧げて生きる歌舞伎役者にしか為せない迫真の演技、鮮やかな踊り、心に迫りくる台詞。これらの凄味が映画[国宝]から圧倒的な迫力を持って胸に響いてきました。吉沢亮、横浜流星の鬼気迫る踊りにも心底震えました。どれだけ鍛錬を積まれたのかと思います。超豪華キャストと李相日監督をはじめとした超豪華制作陣の方々が凄まじい熱量と圧倒的努力と才能を惜しみ無く注がれたのだろう映画[国宝]。必見です。あの圧倒的に鮮やかな情景は、映画館で観るべきです。心からオススメします。
ちなみに、曽根崎心中の
“いつまで生きても同じこと“
という台詞が未だに胸に刺さっています。
見城さん、素晴らしい映画を教えていただき、本当に有難うございました。見城さんが仰られていなかったら、観に行っていなかったかも知れません。今回も、見城さんのおかげで感動に出会えました。