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三上雅博

↑ おはようございます。 2024年4月の親父の投稿のリトークです。 人生は、絶望ばかりの地獄道。狂わなければ進めない。苛酷に向かって歩き出せ。どうせ一夜の夢の中、生きるか死ぬかの物語。出会いと別れを繰り返す。さよならだけが人生だ。 理解を求めた瞬間に、誤解を生み出す世の仕組み。わかっているのにやめられない。どこかで期待してしまう。胸はいつでも苦しいけれど、苦しいのなら正解だ。 自分自身に絶望を。愛する人達に幸せを。 本日も皆様、宜しくお願い致します。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博

    ゆっくりと音が消えていき、やがて訪れる「静寂」の前の刹那の「余韻」に、僕は、美しさや、幸せや、人生の儚さを感じるのです。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    755がなかったら毎日がもっとつまらなかったとしみじみ思う朝。ここ8年ぐらい、僕は755に言葉を打ち込み、皆さんと交流することで自分を保って来た。どれだけ仕事の励みになったか知れない。755を作ってくれた堀江貴文と藤田晋には感謝しかない。755がある限り、僕はまだ戦える。
    755のユーザーやサイバーエージェントのエンジニアの皆さん、有難うございます。

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  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    [泣くな研修医]など755から生まれたベストセラーも多い。写真集を初め企画のヒントも沢山頂いた。幻冬舎の一冊の本に皆んなで盛り上がったことも数知れない。[土漠の花]はその代表例だった。心から755に感謝します。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2024年4月の親父の投稿のリトークです。

    「755がなかったら」。
    親父の投稿から続く、皆様の文章に涙が溢れてきます。十人十色の物語。それぞれの熱狂。それぞれの奇跡。いつもいつも感動を有難う御座います。
    親父、フォロワーの皆様、755運営の皆様に感謝しかありません。

    僕にとっての755とは、尊敬する親父の言葉を媒介に、他者ではなく、自分と交信するための、大切な場所となっています。
    親父の言葉に照らされて、ここに文章を書く事で、僕は狂わずに済んでいます。書かなければ僕は壊れてしまうから。書かずにはいられないのです。
    極度の緊張状態の中でギリギリの均等を保つため。内圧を外に逃すため。生きながらにして死を抱くための祈りの場所。思考と言動の一致を確認する場所。それが僕にとっての755。
    755がなかったら。僕の精神はとっくに崩壊していた事だろう。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    苦しいこともあるだろう
    言いたいこともあるだろう
    不満なこともあるだろう
    腹の立つこともあるだろう
    泣きたいこともあるだろう
    これらをじっとこらえてゆくのが
    男の修行である

           ーーー山本五十六

  • 三上雅博
    三上雅博

    人生で初めて天然本鮪のトロを食べた日のことを、昨日の様に思い出します。

    僕は小学四年生の頃から三年間、学区内のサッカー少年団「イレブン」と言うチームに所属していました。当時アニメで観た「キャプテン翼」に憧れてサッカーを始めました。
    決してスポーツ万能では無かったと思います。足がちょっとだけ速かったのも一瞬の栄華に過ぎず、必死な事以外に取り柄なんてありませんでした。ポジションは紆余曲折して最終的にキーパーになりました。試合で負けていると、キーパーなのにも関わらず、試合終了間近には自ら攻撃に加担したりしていました。
    監督に怒られる事も多かったのですが、心を打つ事もあったらしく、少年団の会報で唯一僕だけが名前を載せてもらいました。それがきっかけで周りからいじめられました。共同体の中で、自分だけが浮いた存在だったのだと、今ははっきりと理解出来ます。当時の僕には絶望でした。
    色んな事があったはずの小学校での記憶はほとんどが消えかけていて、思い出すのは外での経験ばかりです。
    小学五年生の秋頃です。僕達がサッカーの試合で勝利したある日、父「勝利」がパチンコで勝利しました。
    「勝ったお祝いに寿司屋に連れて行ってやる。」
    僕にとって人生初めての寿司屋。その言葉に胸が高揚したのを覚えています。
    いざその時を迎え、地元の有名店へ。「小樽寿司屋通り」を全国に知らしめた名店のひとつです。胸の高鳴りを抑え、のれんをくぐった奥に広がっていたのは「初めて」ばかり。そこでは威勢の良い声が飛び交い、目に映るのは長い白木のカウンター。粋な白衣を着て、イキイキと鮨を握る職人さん達が立ち並ぶ光景に、僕は目を奪われました。
    僕達家族は「小上がり」に通されました。父が「上にぎり」を4人前頼んでくれて、家族4人で目を輝かせながらその時を待ちました。
    待望の鮨は、綺麗で、輝いていて、あまりにも美味しくて一瞬で無くなってしまいました。
    食べ盛りの小学生2人。鮨の八貫くらいでは満足できないのを察し、追加してくれる事になりました。
    鉄火巻きとカッパ巻きを一人前ずつ頼む事が決まり、あとは何を食べたいか聞かれた僕は「トロ」と言いました。高価であるのは噂で知っていましたが、食べ物の味に貪欲な僕はどうしても食べてみたくて、我慢できなかったのです。そうして父は震える声で「トロ一人前」をサビ抜きで注文してくれる事となったのです。
    目の前に置かれた「トロ一人前」10貫サビ抜き。全てが衝撃でした。世の中にこんな美味しいものがあったのかと。小学生にして、今後の人生において、これを超えるものに出会えない様な予感すら感じてしまいました。
    トロだけで一人前8000円だったそうです。当時住んでいた長屋の市営団地の家賃もそれくらいでした。ありがたい。感謝です。
    この経験が、僕のその後の人生にもたらした影響は計り知れません。

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  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    何でこんなに気持ちが塞ぐんだろう?全てが悪い方向に向かっているように思える。生きながらテンカウントを聴いている感覚。坂本龍一ももういない。皆んな僕から去って行く。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    失敗のほとんど場合は自分を誤魔化すことから始まる。起こっている事実から目を逸らす。深く考えない。楽な解決方法を選ぶ。感情を優先させる。
    解ってはいても、ついそうしてしまう。友人たちが次々と逝き、自分の命ももう残り少ない。
    静岡県清水市の社宅に生を受けて73年が経った。ささやかな初恋の成就に「世界一の幸せ者だ」と歓喜し、涙した僕は予想もしなかった[今]を生きている。僕は「あの幸せ」をいつ、何故、手放したのか?小さな幸せこそ生きることの全てだったかも知れないのに!
    絶望から苛酷へ。誤解から理解へ。いずれ去って行くだろう僕の愛する人たちのために僕は最後の炎を燃やす。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2024年4月の親父の投稿のリトークです。

    人生は、絶望ばかりの地獄道。狂わなければ進めない。苛酷に向かって歩き出せ。どうせ一夜の夢の中、生きるか死ぬかの物語。出会いと別れを繰り返す。さよならだけが人生だ。
    理解を求めた瞬間に、誤解を生み出す世の仕組み。わかっているのにやめられない。どこかで期待してしまう。胸はいつでも苦しいけれど、苦しいのなら正解だ。
    自分自身に絶望を。愛する人達に幸せを。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。