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K0183

先週、某新聞社が年末・年度末の風物詩ともいえる病院ランキングを発表しました。その記事を目にしてから、ずっと気持ちが塞ぎ込んでいます。 私の施設も、首都圏の上位施設として掲載されていました。とはいえ、その上位層の中では真ん中よりやや下くらいで、「それなりの実績」といったところです。私が「それなりの努力」しかしてこなかったからこそ、「それなりの結果」にとどまっているのだと、そう思わざるをえません。 今日も記事を読み返し、私の不甲斐なさを思い知らされて、ただ立ち尽くしていました。 この数日、見城さんが鮮やかに結果を出し、次々と勝ち続けている姿を見て、本当に見城さんは「鮮やかな人」だと感じていました。勝負どころで迷わず決め切る姿は本当に見事で、まさに華があるというか、スターそのものです。派手さではなく、勝ち方そのものが誠実で、そして鮮やかです。そんな姿を見て私自身を省みると、とても惨めな気持ちになってしまいます。 それでもやっぱり、心のどこかで思います。 私も、見城さんみたいに「圧倒的に鮮やかな結果」を出したい。 「圧倒的に鮮やかに勝つ」という感覚を、私の手で掴んでみたい。 見城さんは、進むべき道筋を、これ以上ないくらいはっきりと見せてくれました。この機会を活かさなければ、これから先の私の人生には何も残らないような気がします。それくらいの分岐点に、今、私は立っていると感じています。 だからもう、「圧倒的努力」をやり切る以外に、選択肢はありません。 考え方を変えなければならない。去年の実績は、すでに9月末の時点で乗り越えました。そこからさらに、残り3ヶ月で上積みを続けてきました。それ自体はとても順調です。けれど、それでもきっと、まだ全然足りない。 本当は、この時期にこんな暗い投稿をするつもりはありませんでした。ただ、12月1日というこの日だからこそ書けると思い、思い切って投稿させていただきました。気分が沈むような内容になってしまい、本当に申し訳ありません。 この12月は、さらに自分自身と向き合いながら過ごします。来年こそ、胸を張って「突き抜けた」と言える私になりたい。 そのための助走を、今、ここから始めます。

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K0183のトーク
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  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』公開まで、あと2日。

    「未来へ」

    横田慎太郎選手が放った「栄光のバックホーム」。それは、脳腫瘍と闘いながら、決して諦めることなく、家族や仲間の支えを受けて投げた命懸けの一球でした。

    見城さんが製作総指揮を務められたこの映画によって、私の心は完全に灼き尽くされて、新たな再生を迎えました。

    この映画と出会い、見城さんの生き様を以前より近くで感じて、私は改めて問い直されました。どう生きるべきかを。

    そして今、横田選手はこの映画を通じて、自らの「栄光のバックホーム」を私たちに放っています。人生の困難に立ち向かう「全ての横田慎太郎」に「どう生きるべきか」を問いかけています。

    病と闘う人。大切な人を支える家族。夢を諦めかけている人。人生に立ち止まっている人。私たちは皆、それぞれの人生で「一人の横田慎太郎」です。

    そして、支えられて放った横田選手の「栄光のバックホーム」は、今度は「全ての横田慎太郎」を支えようとしている。

    いつか、その想いを受け取り、支えられた者が「栄光のバックホーム」を放つ者になる。未来で与える側に回る。支える側に立っていく。

    誠実に積み重ねた努力が、栄光として連鎖していく。
    感動で灼き尽くされて再生した者だけが持つ、圧倒的な優しさと強さ。それは次の誰かを支え、その誰かがまた次の誰かを支えていく。

    希望は受け継がれる。勇気は巡っていく。再生は未来を創る。

    いよいよ公開まで、あと2日。

    この映画を観ることは、ただ物語を知ることではありません。あなたもきっと栄光の連鎖を紡ぐ者になれます。

    受け取って、いつか誰かに贈る。
    それが、横田選手が私たちに託した「栄光のバックホーム」だと思います。

    今を生きる全ての横田慎太郎に捧ぐーー

    『栄光のバックホーム』がずっと未来へとつながりますように。

  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』公開まで、あと1日。

    明日、いよいよスクリーンで息をし始めます。

    そして、この映画は、幻冬舎フィルムの第一作です。見城さんが、新しく「映画」という戦場に出ていくとき、最初の一本として選んだのが、この『栄光のバックホーム』です。これには大きな意味があると思います。

    幻冬舎フィルムの第一作が『栄光のバックホーム』であることに、私は静かな必然を感じています。

    この2週間、毎日、この映画のことを考え、言葉を紡いできました。
    書き続けてきた理由は、「伝えたい」、そして「自分を見つめ直したい」という衝動でした。

    私がこの映画から受け取ったものは、感動や希望という言葉では括れない何かでした。

    横田慎太郎選手の物語は、諦めないことの美しさを描いている。けれどそれは、根性論でも精神論でもない。
    人間が、どんな状況にあっても、自分であろうとすることの尊厳だと思います。

    この2週間、自分の過去から現在までを振り返り、見つめ直しました。
    私は自分がどれだけ多くのものを置き去りにしてきたかを知りました。

    この映画は、そんな私に
    「人生には、何度でもバックホームがあるのだ」と
    静かに語りかけてくれている気がする。

    たどり着くまで、歩き続けていいのだと。

    本当の栄光は、「バックホーム」の一球に向かって積み重ねた日々と、
    投げ終えたあとも続いていく時間の中にある──
    この映画は、そう教えてくれます。

    そして、『栄光のバックホーム』の2度目を観るときに、どう感じるのか、とても楽しみです。
    今の自分が、何を受け取るのか。

    見城さん、この映画に出会わせてくれてありがとうございました。
    何度もボールをこぼしたり、暴投したりしながらも、
    それでも諦めずにボールを投げ続けてこられたのは、見城さんのおかげです。

    その全てを胸に、私は『栄光のバックホーム』を劇場で受け止めます。

    そして、どうかこの映画が、今を生きる全ての横田慎太郎たちの心に、深く届きますように。

    いよいよ明日、公開。

  • K0183
    K0183

    755の皆さま、いつもありがとうございます。

    ここ最近、連日で緊急の仕事が立て込んでいます。
    昨日も、もともとの予定の仕事が2件あり、そこそこ忙しかったのですが、さらに緊急の対応が2件入ってしまい、帰宅できたのは午前3時ごろでした。

    今日は少し落ち着いてはいたものの、昨日の後始末に追われていて、眠気で頭がなかなか回らないまま、先ほど帰宅したところです。

    ようやく一息ついて、皆さまの投稿を拝読しています。
    いつも本当に楽しみにしています。
    疲れはありますが、皆さんの投稿を見ることが心の栄養になっています。
    心にじんわりと沁みわたり、精神的な疲れなんてすぐに吹き飛んでしまいます。

    そして、いつも私の投稿も読んでくださり、本当にありがとうございます。とても大きな心の支えになっています。

    見城さんへの想い、『栄光のバックホーム』への想いが、日を追うごとに高まっているのを、肌でひしひしと感じています。

    それぞれの立ち位置から、それぞれの想いで『栄光のバックホーム』を見つめていることが、皆さんの言葉から伝わってきます。

    みんなの想いが重なり合って、すごく温かい。この温度感こそが755なのだと、人生で初めての感覚に、どのような言葉で表現してよいのか見つからないほどです。

    この想いを、これからも大切に抱きしめていきたいと思っています。

    明日金曜日の公開日は、少し大きな仕事が入っており、映画館に足を運ぶのは、レイトショーでも難しそうです。
    残念ではありますが、土曜日に観に行く予定にしています。

    明日の夜、『栄光のバックホーム』を観た皆さんが、どのような思いを投稿されるのか、今から本当に楽しみでなりません。

    明日に備えて、今日は早めに休むつもりです。
    夜中にまた緊急で呼ばれないといいのですが…。

    いよいよ、明日公開。
    ああ、本当に明日が待ち遠しい。サンタクロースを待つ子どものような心境です。

    引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
    寒さが厳しくなってきましたので、風邪などこじらせませんよう、どうかお身体を大切になさってください。

  • K0183
    K0183

    見城さん、755の皆さま、おはようございます。

    ついにこの日が来ました。みんなの想いが重なり、一つになる日です。

    胸の鼓動が高鳴っています。

    「神様は見ている」と、心の中で何度も繰り返しています。

    見城さんはおっしゃいました。
    「大丈夫、日本中に広がります。作品が素晴らしいからです」

    「映画[栄光のバックホーム]。不安と恐怖を振り切るために、これ以上出来ないくらい圧倒的努力をしました。これからも、します。だから、勝ちます。圧倒的に勝ちます」

    きっと、圧倒的に鮮やかな結果が出る。
    きっと、圧倒的に鮮やかに勝つ。

    「至誠天に通ず」――誠実な努力は、必ず天に届く。
    「至誠、栄光に通ず」――誠実な努力は、必ず光をもたらす。

    日本中が、感動で灼き尽くされる――その光景が、はっきりと目に浮かびます。

    神様は、見ている。

    本日もよろしくお願い申し上げます。

  • K0183
    K0183

    見城さん、755の皆さま、いつもありがとうございます。夜分遅く失礼いたします。

    今日は少し大変だった仕事が無事に終わり、そのあとスタッフみんなで六本木に焼肉を食べに行ってきました。いまは帰りのタクシーの中です。

    週末で天気も良く、さらに給料日の後ということもあってか、街ゆく人もいつもより多く感じました。

    今日は、『栄光のバックホーム』初日でした(日付は変わってしまいましたが…)。ようやくタクシーの中でパソコンを開きながら、皆さまの投稿を拝読しています。

    一つひとつ読んでいると、少し高ぶっていた気持ちや、仕事モードの頭がだんだんほぐれていって、心が穏やかになっていくのを感じます。

    ふと前のモニターに目をやると、見城さんがご出演されている、にしたんクリニックのCMが流れているではないですか。こんなところで見城さんにお会いできるとは思わず、めちゃくちゃうれしくなりました。「今日の仕事もきっとうまくいっているはずだ」と確信しました。

    かなり酔っ払っておりますが、そのあたりはどうかご容赦ください。

    明日は、私も『栄光のバックホーム』を観に行く予定です。

    これからも、ここでの皆さまとの時間を大切にしながら、一日一日を積み重ねていきますので、今後ともあたたかく見守っていただけたらうれしいです。

    引き続きよろしくお願い申し上げます。

  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』の2回目を観てきました。
    ネタバレしないように努力して書きます。多少ネタバレがあった場合は、申し訳ないですが私の実力不足ですので、ご容赦ください。

    もともと映画館に足を運ぶことは多くなく、東京国際映画祭でこの作品と出会う以前に劇場で観たのは『20歳のソウル』が最後でした。そんな自分が、同じ作品を短い期間で2度も観に行く――それだけで、この映画が自分の中でいかに特別な位置を占めているかを物語っているように思います。

    今日は少し早めに家を出て、まず書店で「GOETHE」を購入し、映画館に着くとすぐにパンフレットを買いました。劇場特有の少し張りつめた空気と、胸の奥からじわじわと湧き上がってくる緊張とワクワク。幼い頃から変わらず、暗くなる直前のあの瞬間に、今でも心が震えます。

    開場と同時に客席へ。東京国際映画祭のワールド・プレミアでは、初めて見城さんに会えるという高揚感もあって、心ここにあらずの状態で飲み込まれていきましたが、今回は落ち着いて作品と向き合えそうだと感じていました。それでもやはりどこか緊張していて、少しずつ席が埋まっていく様子を眺めながら、静かに開幕を待ちました。

    灯りが落ち、スクリーンいっぱいに甲子園球場でバットを振る横田慎太郎選手の後ろ姿が映し出された瞬間、やはりもうダメでした。オープニングだけで、涙があふれてくる。2回目だからこそ心の準備はできているはずなのに、それでも感情は先回りして波となって押し寄せてきます。

    あらためて感じたのは、新人の松谷鷹也さんを大抜擢したことの大きさでした。ルーキーを演じるのは、やはりルーキーであることに意味がある。その不器用さや危うさ、まだ削りきれていない純度の高さが、スクリーンからまっすぐに飛び込んできます。本当に「ハマり役」という言葉では足りないほどでした。他のキャストの皆さんも含め、誰ひとりとして「代わり」が想像できない。この作品のために集まるべくして集まった人たちなのだと、2回目にしてより強く感じました。

    1回目の鑑賞では、あまりの迫力と感情のうねりにただ圧倒され、「人生のすべてが詰まった、本当にすごい映画」としか言葉にできず、エンディングの後もその場に立ち尽くすしかありませんでした。重ねられる家族の愛、仲間たちとの絆、報われるかどうかも分からないまま誠実に少しずつ積み重ねてきた日々が、光に変わる瞬間――体がスクリーンに吸い込まれていくようなあの感覚は、今も鮮明に覚えています。

    2回目の今日は、物語全体の流れを知っているからこそ、シーンごとの「間」や、何気ない仕草に込められた意味に目が向きました。ふとした沈黙に滲む不安と覚悟、家族の感情の揺らぎ、仲間たちの祈り。1回目にはただ「涙が止まらなかった」場面で、今回は「なぜ涙が出るのか」を少しだけ言葉にできるようになった気がします。それでもやはり、最後には言葉を超えて胸の奥を鷲掴みにされてしまう。

    まず胸に突き刺さるのは、野球を愛し、人生のほとんどを野球に捧げてきた横田選手が、その野球に対して自分でも受け止めきれない本音をこぼしてしまう場面です。

    かつて「自分の人生そのものだ」と言い切れたものを、もう同じ気持ちでは抱きしめていられないと認めるような瞬間。そして、そんな自分を否定したくなる叫び。その残酷さと、そこまで正直であろうとする誠実さ、美しさに、心が壊れ、胸が張り裂けそうになりました。

    それでもその後に投げかけられるのは、そんな横田選手自身を優しく肯定してくれるような言葉です。結果や評価ではなく、「限界まで向き合ってきた自分」をちゃんと抱きしめてあげてほしい――そう肩に手を置かれたように感じました。

    その温度は、横田選手だけでなく、多くの人の人生にも向けられているように思います。

    まだまだ書きたいことがあるのですが、長くなってきました。また明日以降も、言葉を探しながら書き綴っていきたいと思います。

    あ、あと前回見逃したエンディングロールでの special thanks の「755」、今回は絶対に見逃してなるものかと、目を凝らして確認しました。ちゃんと目に焼きつけることができて、ひとりで小さく感動していました。

  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』の2回目を観て、心に深く刻み込まれたシーンの一つ。

    ホスピスで、横田選手が北條さんに魂をぶつける、あの場面です。

    ベッドからほとんど動けない横田選手が、ベッドの上から北條さんに語りかけます。

    全然頑張っていない。
    自分はもう動けない。だけど、やりたいことはまだたくさんある。
    北條さんは、まだまだ戦える――。

    まだ戦える人間の背中を、容赦なく、本気で押している。

    このやり取りを見ていると、「病気の人が支えられる側で、健康な人が支える側」という分かりやすい構図が、一瞬でひっくり返されるように感じました。

    誰よりも制限のある身体で、「まだ野球ができるあなたが、生き切ってくれ」と、心から願っている。

    この想いの深さに、胸が締めつけられました。

    なぜこんなにも心に迫ってくるのか――そう考えていたとき、ふと気づきました。
    カメラが、ほんの少し揺れているのです。このシーンでは、カメラは固定されていないように見えます。わずかな揺れが、画面全体に伝わっています。

    そのカメラの揺れが、横田選手の想いの激しさや、熱い鼓動を映し出しているように感じました。
    動けない身体から絞り出される言葉の重み。
    それを受け止める北條さんの、心の揺らぎや戸惑い。

    固定された安定した映像ではなく、不安定な揺れだからこそ、その場の空気がよりリアルに伝わってくるのだと思います。臨場感や緊迫感、そして感情の微妙な揺れ――そのすべてが、カメラワークの中に込められているように感じました。

    二人の間で、何かが大きく軋んでいるように見えました。
    「ここで何かが決定的に変わる」――その予感を、映像がそのまま形にしているかのように思いました。

    そして、その揺れはスクリーンを越えて、観ている私たちの胸までも揺さぶります。観客である私たちの心もまた、一緒に揺れているのだと感じました。

    「お前はどうする?」
    あのシーンそのものが、そう問いかけているように思えました。

    映画は、台詞だけで語られているわけではありません。
    映像の一つ一つに、深い意図が宿っているのだと思います。

    秋山監督がこの表現を選び取ったことに、改めて深い敬意を覚えました。
    (もし私の受け取り方が的外れであれば申し訳ありませんが、私はそのように感じました)

    交わされる言葉、ぶつけられる魂、心の底からの願い。

    動けない者が、動ける者を叱咤します。
    死に向かいながらも「生きること」を諦めない者が、まだ戦える者に「もっと真剣に生きろ」と命じている。

    あのシーンは、スクリーンの中だけで完結してはいないと感じました。

    「まだ動けるなら、まだ戦える」

    そう諭されているのは、北條さんだけではなく、今この映画を観ている自分自身なのだと、強く感じました。

    私はまだ、自分の足で立つことができます。
    まだ、戦場に向かうことができます。
    まだ、暗闇の中でバットを振り続けることができます。

    今日は、「昨日、死んでいった人たちがどうしても迎えたかった明日」です。
    その明日に立っている自分が、ぬるま湯の中でうずくまっているわけにはいかない。

    暗闇の中で、バットを振り続けます。

    至誠、栄光に通ず。

    あの揺れは、今日を生きる私の鼓動でもあるのだと思います。

    今日も、正面突破で、生き切ります。

  • K0183
    K0183

    朝から全力で仕事をしているのですが、まだ終わりそうにありません。ようやくゴールが見えてきたものの、頭はもうパンク寸前――いや、すでにパンクしているような状態です。今日はここで区切りをつけて、続きは明日に持ち越すことにしました。

    その合間に、わずかな時間だけ755をのぞくと、観客動員数がすごいことになっていて、思わずうれしくなりました。皆様の『栄光のバックホーム』への熱い想いに触れ、心が温かく、そして穏やかに安らいでいくのを感じていました。

    本当に鮮やかな結果が出ている。鮮やかに勝っている。
    圧倒的努力が貫いたのだ、自分はいま、すごいものを目撃しているのだなと思います。

    見城さんには、敬意しかありません。
    このうねりがさらに広がっていくことは、もはや「期待」というより「確信」です。

  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』の2回目を観て、心に深く刻まれた言葉たちの一部を書き留めておきたいと思いました。

    「試合を淡々と終わらせない」
    「一つひとつに気づきがある」
    「流れ作業にしない」

    この言葉に、強く共感します。

    一つひとつを積み重ねて、どんな些細なことにも意味を見出そうとする姿勢。
    それは、野球というスポーツの枠を超えて、人生のあらゆる場面に通じるあり方だと思います。

    私は755で、ほぼ毎日投稿を続けてきました。最初は手探りで、755という舞台で何を書けばいいのか、どう書けばいいのか、全く分かりませんでした。もちろん、今だって「分かった」と言えるわけでは全然ないのですが。

    それでも、一つひとつの投稿ときちんと向き合うことだけは決めました。流れ作業にしない。適当に済ませない。たとえ誰も読んでいないかもしれないと思う日があっても、その日の投稿に少しでも意味を見出そうと、少しでも意味のあるものにしようと、もがきながら続けてきたつもりです。

    見城さんの一つひとつの言葉は、すべて胸に刺さりました。私の心を揺さぶり、一つひとつの瞬間が、少しずつ私を変えていった。その道筋は、まさに小さな気づきの積み重ねだったのだと思います。

    「どんなことにも意味がある」
    本当に、その通りだと思う。失敗にだって意味がある。気づきがある。学びがある。

    だからこそ、この言葉が強く心に響きます。
    「自分を卑下して逃げるな」

    この言葉は、私の心に深く突き刺さりました。向き合うことから逃げない。たとえ自分に自信がなくても、たとえ結果が見えなくても、「一つひとつに意味がある」と信じて向き合い続ける。

    それこそが、努力なのだと思います。

    「努力は裏切らない」
    横田慎太郎さんは、病気と闘いながらも、決して諦めませんでした。

    「病気よりこの気持ちの方が強いと証明してみせる」
    その言葉通り、最後まで戦い続けた。

    「戦っている人に負けはない」
    本当に、その通りだと思います。諦めない限り、それは「負け」ではない。一つひとつに向き合い続ける限り、その人は、たとえ結果がどうであっても、すでに勝ち続けているのだと思います。

    圧倒的努力を貫いていかないと、鮮やかには勝てない、鮮やかな結果は出ない。見城さんのようにーー

    書き進めながら、闘志が湧き上がってきました。
    『栄光のバックホーム』――人に生きる力を与える。本当に、奇跡のような映画だと思う。

    『栄光のバックホーム』の勢いは、とどまるところを知りません。
    このうねりがさらに広がり、より多くの方々に、この奇跡と栄光を目撃していただきたいです。

  • K0183
    K0183

    先週、某新聞社が年末・年度末の風物詩ともいえる病院ランキングを発表しました。その記事を目にしてから、ずっと気持ちが塞ぎ込んでいます。

    私の施設も、首都圏の上位施設として掲載されていました。とはいえ、その上位層の中では真ん中よりやや下くらいで、「それなりの実績」といったところです。私が「それなりの努力」しかしてこなかったからこそ、「それなりの結果」にとどまっているのだと、そう思わざるをえません。

    今日も記事を読み返し、私の不甲斐なさを思い知らされて、ただ立ち尽くしていました。

    この数日、見城さんが鮮やかに結果を出し、次々と勝ち続けている姿を見て、本当に見城さんは「鮮やかな人」だと感じていました。勝負どころで迷わず決め切る姿は本当に見事で、まさに華があるというか、スターそのものです。派手さではなく、勝ち方そのものが誠実で、そして鮮やかです。そんな姿を見て私自身を省みると、とても惨めな気持ちになってしまいます。

    それでもやっぱり、心のどこかで思います。
    私も、見城さんみたいに「圧倒的に鮮やかな結果」を出したい。
    「圧倒的に鮮やかに勝つ」という感覚を、私の手で掴んでみたい。

    見城さんは、進むべき道筋を、これ以上ないくらいはっきりと見せてくれました。この機会を活かさなければ、これから先の私の人生には何も残らないような気がします。それくらいの分岐点に、今、私は立っていると感じています。

    だからもう、「圧倒的努力」をやり切る以外に、選択肢はありません。

    考え方を変えなければならない。去年の実績は、すでに9月末の時点で乗り越えました。そこからさらに、残り3ヶ月で上積みを続けてきました。それ自体はとても順調です。けれど、それでもきっと、まだ全然足りない。

    本当は、この時期にこんな暗い投稿をするつもりはありませんでした。ただ、12月1日というこの日だからこそ書けると思い、思い切って投稿させていただきました。気分が沈むような内容になってしまい、本当に申し訳ありません。

    この12月は、さらに自分自身と向き合いながら過ごします。来年こそ、胸を張って「突き抜けた」と言える私になりたい。

    そのための助走を、今、ここから始めます。