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三上雅博

↑ おはようございます。 2024年2月の親父の投稿のリトークです。 ジョージ・フォアマン奇跡の軌跡。 圧倒的なドラマティックストーリーに感動せずにはいられません。 現実はあまりにも残酷だ。絶望が怒涛の様に押し寄せる。視界の先は真っ暗だ。恐怖に打ち勝ちリングに上がれ。勇気と覚悟があれば良い。戦え。戦え。戦え。 倒れてもまた立ち上がれ。何度でも何度でも立ち向かえ。耐えて耐えて耐え忍べ。 立ち続けた者だけが奇跡の瞬間に立ち会えるのだから。生きている限りこの戦いは終わらない。 I Will Go to War! 本日も皆様、宜しくお願い致します。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ 傲慢だよね。でも、間違っていないと思う。
    そして、放った言葉はブーメランのように自分に返って来る。では、僕は誰かに取って「何者」かであり得るのか?答えの出ない永遠の問い。例えば今日の僕はこう答える。共同体の価値観から自由になって、誰かに跪きたい。誰かに自分の全てを否定され、破壊されたい。共同体から外れて、個体の官能に全身を灼かれる瞬間。それだけが人生の意味だ。死と恍惚は紙一重だ。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2024年2月の親父の投稿のリトークです。

    生と死。善と悪。創造と破壊。理解と誤解。全ては表裏一体。世界は矛盾で出来ている。
    人は死ぬために生きている。自分の中におぞましい悪意があるから善良に生きたいと願うのだ。破壊せずに創造する事など不可能だ。理解と誤解の境界線を行ったり来たりと繰り返す。
    何かを欲するのならそれ相応の対価を天秤の上に乗せるしかない。天秤には命を捧げろ。それで無理なら死ぬだけだ。
    共同体のルールから外れ、命を賭けて個体のルールを遂行する事で、生き延びたときの達成感は恍惚に変わる。人生は生きてるだけで儲けもの。死と恍惚は紙一重なのだから。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    1974年10月30日。当時のザイール共和国(現・コンゴ民主共和国)キンシャサ。WBA、WBC世界ヘビー級タイトルマッチ。ジョージ・フォアマンに打たれ続けたモハメド・アリの8R残り16秒劇的な逆転KO勝ち。立ち続けていれば奇跡は起こる。僕はまだリングに立っている。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    1974年10月30日、ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで元WBA・WBC世界ヘビー級統一王者モハメド・アリと対戦。この一戦はアフロ・アメリカンのボクサー同士がルーツであるアフリカ大陸で行う初のヘビー級タイトルマッチで「ランブル・イン・ザ・ジャングル」(ジャングルの決闘)という謳い文句が付けられた。当時25歳で、40戦無敗(内37勝がKO勝ち)で「象をも倒す」と言われたハードパンチャーのフォアマンに対して、アリは当時32歳で復帰以降フットワークに衰えが見られ、この試合で引退に追い込まれるのではないかと囁かれた。アメリカの専門家筋の予想は4対1、ロンドンのブックメーカーの掛け率は11対5でフォアマン勝利を支持した。

    フォアマン対アリ戦(1974年)
    試合は、フォアマンが序盤から圧倒的に攻め続けながら、ロープ際でロープに体を預けて防御するアリの戦法(ロープ・ア・ドープ)にはまり体力を消耗(フォアマンはアリ陣営によってロープが緩められていたと主張している)。8Rに逆転KOされ王座から陥落し、41戦目でのキャリア初黒星となった。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    アリに敗北を喫してから1年以上休養した1976年1月24日、ロン・ライルとNABFヘビー級王座決定戦を行い、ダウンの応酬の末5回2分28秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、ジョー・フレージャーとの再戦(5回2分26秒TKO勝ち)を含めて4連勝する。1977年3月17日、勝てばアリへの再挑戦権を得る試合にこぎつける。場所はプエルトリコのサンファン、相手は格下のジミー・ヤングだった。一方的にヤングを攻めたが、試合中盤に失速し、最終回にダウンを喫して12回0-3の判定負け。

    ヤング戦の試合後、疲労と熱中症に苦しみロッカールームで昏倒し、イエス・キリストの存在を感じる神秘的な臨死体験をしたことを契機に、キリスト教に目覚める。28歳でボクサーを引退し、キリスト教の牧師に転身する。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    引退後はヒューストンの自宅近くに教会と「ジョージ・フォアマン青少年センター」を開設。しかし、施設維持費のほか、4度の離婚の慰謝料、12人の子供の養育費、雇っていた会計士の横領事件などによって資金難となり、38歳のときに10年ぶりに現役復帰を決意する。1987年3月9日、スティーブ・ゾウスキーと対戦し、4回2分47秒KO勝ちを収め復帰戦を飾る。

    現役復帰を発表した時は、10年のブランクに加え、体型も明らかに肥満していたため、多くの人々は「正気か」と嘲笑したが、復帰後24連勝を飾りヘビー級タイトル戦線に再浮上する(マイク・タイソンとの対決も期待されたが実現せず)。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    1994年11月5日、フォアマンより19歳年下のWBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーから逆指名され、復帰後3度目のタイトル挑戦に臨む。モーラーのアウトボクシングに9回までフォアマンはスコアカードで大差をつけられ負けていたが、10回に入るとパンチの連打で反撃に転じ、10回2分3秒に右ストレートをモーラーの顎に叩き込みKO勝ちを収め、アリ戦から20年越しとなる世界ヘビー級王座の返り咲きに成功した。45歳9カ月での戴冠はボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ ジョージ・フォアマンの奇跡の軌跡。
    モーラーをKOでリングに沈めたフォアマンは
    コーナー・ポストに跪き、神に感謝の祈りを捧げたという。アリに敗北してから20年が経っていた。フォアマン45歳と9ヶ月。世界ヘビー級王座への奇跡の復帰だった。ボクシングは奇跡のドラマに満ちている。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2024年2月の親父の投稿のリトークです。

    ジョージ・フォアマン奇跡の軌跡。
    圧倒的なドラマティックストーリーに感動せずにはいられません。
    現実はあまりにも残酷だ。絶望が怒涛の様に押し寄せる。視界の先は真っ暗だ。恐怖に打ち勝ちリングに上がれ。勇気と覚悟があれば良い。戦え。戦え。戦え。
    倒れてもまた立ち上がれ。何度でも何度でも立ち向かえ。耐えて耐えて耐え忍べ。
    立ち続けた者だけが奇跡の瞬間に立ち会えるのだから。生きている限りこの戦いは終わらない。
    I Will Go to War!

    本日も皆様、宜しくお願い致します。