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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    1994年11月5日、フォアマンより19歳年下のWBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーから逆指名され、復帰後3度目のタイトル挑戦に臨む。モーラーのアウトボクシングに9回までフォアマンはスコアカードで大差をつけられ負けていたが、10回に入るとパンチの連打で反撃に転じ、10回2分3秒に右ストレートをモーラーの顎に叩き込みKO勝ちを収め、アリ戦から20年越しとなる世界ヘビー級王座の返り咲きに成功した。45歳9カ月での戴冠はボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ ジョージ・フォアマンの奇跡の軌跡。
    モーラーをKOでリングに沈めたフォアマンは
    コーナー・ポストに跪き、神に感謝の祈りを捧げたという。アリに敗北してから20年が経っていた。フォアマン45歳と9ヶ月。世界ヘビー級王座への奇跡の復帰だった。ボクシングは奇跡のドラマに満ちている。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2024年2月の親父の投稿のリトークです。

    ジョージ・フォアマン奇跡の軌跡。
    圧倒的なドラマティックストーリーに感動せずにはいられません。
    現実はあまりにも残酷だ。絶望が怒涛の様に押し寄せる。視界の先は真っ暗だ。恐怖に打ち勝ちリングに上がれ。勇気と覚悟があれば良い。戦え。戦え。戦え。
    倒れてもまた立ち上がれ。何度でも何度でも立ち向かえ。耐えて耐えて耐え忍べ。
    立ち続けた者だけが奇跡の瞬間に立ち会えるのだから。生きている限りこの戦いは終わらない。
    I Will Go to War!

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ 相手から理解されたい、報われたいと思った瞬間、相手は自分から逃げて行きます。自分の一番浅くて醜い部分が出てしまうからです。しかし、愚かにも人はそれを繰り返します。少なくとも僕はそうです。自分を捨て切れない。自己愛の中でしか相手を愛せない。自意識過剰と自己承認欲求の塊になってしまう。そうやって73歳まで来てしまいました。しかし、それが僕の何かを成す原動力だったことも確かです。理解されなくても報われなくても上等!そう思い切れれば、自分の劇として完結します。切ないけどね。理解と誤解の間には深くて暗い河がある。ひとり。一人。独り。それでも生きます。誰が自分を共同体不適格者と思わずして生きれたか?忍びて終わり悔いなし。押忍。I Will Go to War!

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2024年2月の親父の投稿のリトークです。

    相手に理解を求めると、心の奥の方で何かが崩れる音が鳴る。そこから自分という存在が一気に瓦解していく事になる。そして世界に絶望する。何もかもを破壊してしまいたい衝動に駆られながら、その感情を抑え込み、ただ終焉を待つなんて、僕には出来るはずもない。
    理解されないのは当たり前。努力するのも当たり前。他者が存在するおかげで、自分を客観視できるのだ。全てに感謝する他ない。
    目の前に、聳え立つのは活火山。身を灼かれながら前へ出ろ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    僕は、「鮨を嫌いな人達の知覚」をイメージして、鮨と言うひとつの物語を構成している。
    最終段階で、目を閉じ、深淵に落ちる様に味見をする。そうやって鮨を嫌いな人達が「嫌」だと感じる部分を探していく。
    無限に広がる可能性の中から、自分が考えうる「嫌」の核心が、噛み締める奥に存在していない事を願いながら、祈る様に咀嚼していく。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    何だか全てがデッドエンドになっているような気がする。「八方塞がり」ならぬ「十方塞がり」だ。
    僕としては精一杯の努力はしている。しかし、何一つ思い通りにはならない。努力が足りないと言われればそれまでだが、では、これ以上どうしたらいいのか解らない。だから、デッドエンドなのだ。「因果応報」、「自業自得」、「身から出た錆」と呟いてみるが、それで何かが変わる訳ではない。少なくとも僕が愛する人たちを幸せにしたい。残された人生の時間の少なさが僕を絶望的にする。
    それでも今日という一日を明日のために生きる。
    最後の一日の自分をイメージしながら辛い今日を生きる。I Will Go to Hell!

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    高野悦子の[二十歳の原点]を探しているのだが見つからない。20歳で自殺した高野悦子が自分の成人の日にノートに書いたうろ覚えの一行が胸に沁みる。

    「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」

    あれから55年が経った。73歳の僕の今の心境も同じである。

    「独りであること、未熟であること、これが私の
    七十三歳の原点である」

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2024年3月の親父の投稿のリトークです。

    こんなに凄い親父でさえ、自分は未熟と断言し、明日のため、今日と言う日と戦っている。自分みたいな未熟者が楽をして良いわけがない。
    一日一生。映画「栄光のバックホーム」の横田慎太郎に思いを馳せる。惰眠を貪る暇はない。僕も現実と戦う。誠実に。善良に。正直に。真心込めて、今日と言う日を全力で生きていきたい。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    急に寒くなりました。秋を感じる暇もなく、冬の足音が聞こえてきました。
    僕にとってこの一年ほどは、内省の日々でした。
    深い内省を毎日の様に続けることで、生きているのが辛くなるほどに、自分の事が益々嫌いになりました。しかし、それが現実です。生きている限り精進する他ありません。
    そして、取捨選択の1年でもありました。
    必要なもの、残すものを選び取り、無限に広がる可能性の中から、純化するために必要無いものを捨てて捨てて捨てまくり、少しは身軽になれた様な気がします。
    先日も、高額報酬を約束された世界のVIPとやらが集まると言う、デンマークへの出張依頼も断りました。何故なら、日本にある店舗で食べて頂いた方が、安くて美味しいからです。